i-think - ポエツ | poets

Logs

適切なデザイン

どちらがより適切な配置でしょうか。
また、それぞれの長所・短所として何が考えられるか。

(1) トングが上で、トレーが下、かつトレーの表面を上にして重ねる。
(この配置をする店が多いので気になっていた)



(2) トングが下で、トレーが上、かつトレーの底面を上にして重ねる。


(1) の欠点は、表を上に向けているので、ホコリなどが付きやすいこと。またトングの下にあるので、ゴミなども落ちやすいかと思う。
(2) のほうにも、何か欠点があるかもそれない。ちょっと思いつかないけど。
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ダウングレードしにくい世界で

iPod nano がモデルチェンジしてスティック形状でなくなってしまいました。動画対応のため画面を広げるとかで、そもそも音楽再生だけ考えればモノクロ液晶で十分です。
そういえば何年も前ですが、携帯電話の端末からモノクロディスプレイが根絶されたときを思い出します。私はあまり電話を使わないので、たびたび充電しなくて済む点で、「待ち受け時間」の長さが重要なスペックです。でも当時の製品カタログを見れば、カラーディスプレイの端末はモノクロに較べてバッテリの持ちが格段に短いのが明らかでした。

街頭アンケートでも採って、「白黒液晶のiPod や携帯端末、欲しいですか?」とたずねれば、相当の支持する声が得られるはずです。そして販売元が、そう言ったユーザの声を真に受けて、そう言う商品を開発しても、実際には売れないでしょう。調査では相当数、支持する声があったにもかかわらず。
価格が半分、とかなら売れるかも知れません。でもカラーディスプレイの方がもともとの価格は高かったとしても、普及率が上がれば当然下がります。むしろ生産完了してしまったもののほうが高くつくことがある。
あとは大は小を兼ねる、でしょうか。「その機能は使わないけど、付いてるならそれに越したことはないよね。後で必要になるかもしれないし」って心理が働くと思います。

ユーザ調査をすれば、「こんな高機能・多機能は必要ない」、「以前の性能で満足」という声が、必ず相当数ある。ニーズが確実にあるけど、これに対応することはとても難しい。時間的に技術水準を留めるよりは、革新に順行するほうが容易なのでしょう。それで「イノベーションのジレンマ」なんて情況ができる。
気持ちとしては「技術水準は下げていいから、その分だけ安くしてよ(バッテリの持ちを長くしてよ、とか)」と言うのがあるんですが、そのトレードオフを成立させるのが難しいと思うんです。人によって「その分」が指す見積もりにも差が大きいし。ブログなんかも、「もう機能拡張はいいから、”その分”だけ軽快に・安定させて欲しい」と私も思いますが、”その分”削られてもいい不要な機能だって各人によって基準がまちまちでしょう。

ビデオゲームはやらないので詳しくないですが、そう言った点ではニンテンドーの Wii の落とし所は絶妙だったのかと思います。Wiiの比較対象となるべきは PS や Xbox じゃなくて、前世代機なのかもしれません。

投票スカイプパラダイスオーケストラ

「Skype」を台湾ではよく「スカイピー」と読んでいて、「スカイプ」の間違いっしょ? と思ってたら、台湾式の読み方では「スカイピー」で定着していることを最近になって知りました。
そういえば台湾の職場で日本人同士で話していて、そうそう!と合意に達したのが「”mp3”を”エムピーサン”って言うと日本人に笑われるよね」と。「三」は中国語でも「san」なので、中国語読みでは「エムピーサン」となるんです。でも「ベスト・テン」て言うけど、そこから上はだんだん怪しくなって「ベストひゃく」とか言うじゃない。

それはそうとスカイピーです。eメール(*註)が普及した時も、国外在住の相手ともやりとりが容易になった!と感動しましたが、もはや通話もタダ! って使い始めたの最近なんですが、これで台湾の知人とも会話ができます。
*註:私の先輩で「メール」って呼ぶと「郵便」と区別できないので、「”電子”メール」としっかり呼ぶかたがいるのですが、若い子に「”電子”メール」と言ったら、吹き出されたと戸惑っていました。
そんなわけでスカイプフル・ライフを送ったりしていますが、先日たまたま、選挙の話になりました。相手は二十代半ばの台湾人・孫さん。

孫「日本は選挙の投票率が低いですよね」
私「そうですね。もう少し関心を持ったほうがいいのでしょうけど」
孫「えっ、なんでそう思うんですか?」
私「台湾人は政治に関心がある人が多いでしょう。
たとえば選挙の時には、外国に移住してる人ですら、投票のためだけに台湾に帰国して来ると聞きます」
孫「私はそれ、あまりよくないと思ってます」
私「そうなんですか?」
孫「だって外国に住んでいるのに、そのときだけ帰ってくるなんてやりすぎでしょう。
私は政治って好きじゃないです。だから投票率が低いのは一概に悪いことじゃない。
日本の投票率が低いのはなんでだと思いますか?」
私「ん… どこの政党に入れても何も変わらないから。あきらめてる人が大半じゃないかな」
孫「たとえばアフリカの貧しい国。食料や教育も不足している。でもこういった国の選挙は投票率が非常に高いんです」
私「それはアフリカ諸国なんかだと、どの政党が政権を執るかによって、生活が大きく変っちゃうからじゃない」
孫「ですから、日本の投票率が低いのは、あきらめているわけではなく…」

ああ、なるほど! 孫さんはそこで説明をしあぐねてしまいましたが。なんとなくは見えてきました。私なりに忖度すると、政治について切実に考えざるをえない状況に較べれば、政治のことを意識せずに暮らせるほうがどれだけ幸福ではないか…、とそんな意味ではないでしょうか。
おかげさまで今年も投票に行かない口実を見つけました(って、違うだろ)。

[参照]
Espresso Diary@信州松本:時をかける投資家。
qzmp blog:そういや投票行ってきた

スカブラ

「パレートの法則」ってのがあります。「2:8の法則」とも言われます。なぜか「働き蟻の話」って言うのもあって、これは「パレートの法則」とは関係ないように思えるのですが。蟻の集団で一定数働かない蟻がいるのだとか。で、その「怠け蟻」を除去すると、集団の中の一定数がまた「怠け蟻」の役回りに転ずるのだ、という話。
これ、あの炭坑の話ですよね。と思ってたのですが、私が以前聞いた炭坑の話が見つかりません。たしか、劇作家のつかこうへいがよく引いていた話しだよなあと思いつつ調べるとありました。

「スカブラ」
炭坑夫のなかで、仕事をしない役割の人がいる。それを「スカブラ」と呼ぶそうです。スカスカ、ブラブラ、ってことなんでしょうか。メンバーの中にまったく仕事をしない人がひとり入ることで、仕事の能率は飛躍的に向上するそうです。
ずっとこの役立たずの一人っていうのは、フール的というか、「下には下がいる」ポジションを担うことで、それ以外の人を相対化していたのではないかと思っていたのですが、そう言うのとはまた違うようです。

[参照]スカブラ
かめ設計室*3丁目通信:集まれば奇数5
あ ほ り ず む:「スカブラ」でありつづけた人・・・上野英信

ふたたび newsing スパム?

newsing については私も以前書きましたが(参照)、悪いとは言わないけど、たしかにいい印象もない。それにはもっと別の理由があるんですが、今回の話題とは関係がないのでそれは保留。

「他のSBMと同じようなもの」と思っている一般ユーザーに最初から良識的なpickupを要求するのは難しい。そして一般ユーザーがnewsing文化を知らずにpickupしたばっかりに、newsingユーザーに罵倒され傷つきnewsingに対して悪いイメージを持ってしまう。

(ぷりどうぐ:理想のnewsingについて考える

まず今回の始まりは、この「Life is beautiful:はてなブックマークとnewsingをマッシュアップして読者アンケートを作ってみた」から。
それに対して、「ソーシャルニュースにとってスパムだ」と言うユーザーのピックアップ(*newsing で記事を取りあげること)がこれ。「newsing:Life is beautifulのSPAMは本人によるものだよ
そこへのコメントでユーザーの「tera」さん。

結局外部のユーザーなんてnewsingをただの道具としか見てないって事でしょ


ユーザーに”外部”と”内部”があるのか、私も状況に詳しくはないのですが、そういう意識があるということなのでしょう。そのteraさんが、今回の件で書いた記事が冒頭にも引用した「理想のnewsingについて考える

オーマイやエロネタだって頻繁にpickupされるから気になるだけで、500件に1件くらいだったら気にならない。


両方とも相手から近づいてくれたのにも関わらずnewsingがキャズムを超えるチャンスをnewsingユーザー自ら潰しているのである。


teraさんのこの指摘はじつに的確だと思いました。
今回のピックアップに付けられた newsing のコメントにも、テスト(練習)でピックしてもノイズになるから止めて欲しいという声がありましたが、わずか数(十)件でもノイズになってしまう理由のひとつは母数が少な過ぎるからです。1日に1万件くらいピックアップがあれば100件、200件そこらノイズがあっても気にならないはず。そのためには、まずはユーザーの総数がとにかく増えなきゃなんない。
teraさんの記事ではpicker(*newsingに投稿するユーザーのこと)を啓発することで、水準を向上させよう、という方向性が見えます。たしかに敷居を設けることで、参入者の意識レベルを維持することはできるでしょう。でもそれって、「ブログ」なんてものができてから、HTMLも知らない人がサイト持てるようになったとか、WWWの理念も知らずに無断リンク禁止と騒いで困る、とかと共通するものがあるんですね。「ブログ」ってツールがなければ、参入の敷居が高かったので、一定のレベル以下のユーザーは足切りされてたでしょう。
teraさんは、ピックアップの画面に注意書きをすることで、pickerを啓蒙し、記事の質を上げると書いています。でも、それってブログの管理画面に、こんなふうな表示があるのと同じだと思うのです。

エントリをする前に、類似の記事がエントリされているか検索してください。あなたがエントリした記事はあなただけのものではありません。webユーザーみんなのものです。あなたの記事で他人が不快になることはないか、またエントリする記事が他人に取って価値のある内容かどうか、十分注意してエントリを行ってください。



思えば二、三年前から、検索結果にブログばかりが引っ掛かるようになって、ひどい検索ノイズだと憤慨する意見が多くなっていました。WWWという「みんな」の場に、公益性のない個人的な日記を大量に垂れ流すなんて公害だと言う声がありました。
では、そういった良識ある人たちの「あなたのエントリが他人に取って価値があるか、十分注意してエントリしてください」という啓蒙活動は功を奏したのでしょうか。そうではなくて、検索エンジンなり、SBMなりが「石の中から玉を拾い上げる」フィルタリング機能を向上させ始めたのが大きいんじゃないかと思います。
teraさんの主張にあてはめるなら、「newsing の運営」がそういったフィルタリング機能を強化させればいいと思うのです。ユーザーひとりひとりを啓蒙するよりも。ユーザー(picker)は気にせず、ゴミでもスパムでもどんどんピックアップすればいいんです。そして運営はそれを適確にフィルタする仕組みを講じればいい。

衆合智と衆合愚は表裏一体で、清濁合わせ持っているものです。なんとか清い部分だけを掬い上げようと思えば、どうしても少人数でクローズドな状況を作るしかない。あとは newsing がSNSを指向しているのかどうかって問題になってくるでしょう。

それとは状況が同じではありませんが、なんとなく似てるなあと私が感じるのがFC2ブログのユーザーフォーラム。全ユーザー数から考えると、1日あたりの投稿数は驚くほど少ないです。もっとも質問掲示板なので、問題がなければ使わないし、過去ログに類似問答があれば投稿しなくても済む。それもあるでしょうけど、やっぱりヘタに質問をすると「怒られる」から、気軽には投稿できなのが大きいんじゃないかと思います。
質問に回答するユーザーはみなまじめで誠実で理念的です。それは newsing の中心的ユーザーにも共通します。それがゆえに低俗なものを排除しがちなのでしょう。そのおかげで高い質を維持できる反面、teraさんが newsing に指摘しているのと同じように、新参が気軽に入ってこれない障壁にもなってしまう。
ウェブ全体がそうですが、ユーザー数が増えれば、それは世の中のヒエラルキーなんかがそのまま縮図になるわけで、低俗なものも粗悪なものも混入してきます。それを排除するのはまだ簡単です。むしろどうやって許容・共存していけるかこそが鍵になるのかもしれません。

楊丞琳をめぐる様々なまちがい

1ヶ月ほど前、楊丞琳(レイニー・ヤン)が北京で謝罪した事件について記事にしました。(参照:楊丞琳が北京で謝罪したことについて)この事件は「痛いニュース」で取りあげられ、その後、ヤフー!のトップニュースにも掲載されました。ところが、台湾での報道を見たところ、日本で伝えられている事件とは少し様相が違うようです。
そもそもの発端となったTV番組『我猜我猜我猜猜猜』を観れば、事実はすぐ検証できるので、台湾のメディアが大きく間違っている可能性は低いでしょう。聯合報の記事全文は「台北ノート」(参照)に掲載しておきます。

四年前楊丞琳主持「我猜我猜我猜猜猜」時,有一回呉宗憲問她:「你知道抗戰打了幾年了嗎?」楊丞琳回答「11年。」憲哥當場責怪她歴史念得不好,連八年抗戰都不知道,楊丞琳回憲哥「打八年喔?」


4年前、楊丞琳が司会の「我猜我猜我猜猜猜」で、あるとき呉宗憲が彼女に聞いた。「抗日戦は何年戦ったか知ってる?」楊丞琳は答えた「11年」。呉宗憲はそのとき、歴史の勉強が足りないと彼女を叱って、八年の抗戦を何も知らないとは(と言った)。楊丞琳は「八年だけだったんですね」と返事をした。


「才」は中国語学習の初級で出てきますが、文脈によって「ようやく」、「やっと」、「ついに」、「たったそれだけ」など様々な意味があります。この会話の流れであれば、楊丞琳が言ったのは「私は11年とまちがえてしまったけど、8年だけだったのね」程度の意味にもとれます。
ところがこの「だけ」が誤解を生み、「たった8年しか戦わなかったのか」と言う意味へと解釈されてしまいます。

楊丞琳不知道民間疾苦、竟然嫌抗戦太早結束
(楊丞琳は民衆の苦しみも知らず、それどころか戦争があまりに早く終わってしまったことを残念がった)


この段階では、あとで問題となった「南京事件」のことが出てきていません。そもそも南京事件のことなど番組では出てきていないようです。

甚至傳出楊丞琳在節目中説:「才死十幾萬人而已?」
(さらには楊丞琳が番組の中で「死んだのはたった十数万人だけなの?」と言ったとまで伝聞されるまでになった)


これが南京虐殺の死者数という部分に繋がっていくのでしょう(「而已」は「たったそれだけ」を強調する意味)。私は楊丞琳が不用意な発言をしたのかと思っていたのですが、南京事件の言及はふくれあがった流言の「尾ひれ」だったようです。だいたいアイドルの番組で、そこまで政治的に際どいイシューが出て来るのも不自然かも知れません。

まちがいはまだここで終わりません。そもそも言ってもいないことであれば、楊丞琳は北京の記者会見で何を謝罪したのか。

對她誤解八年抗戰、她表達歉意:「我的歴史讀的不好、對不起。」
(8年の抗戦を間違ったことについて、彼女はお詫びをした「歴史の勉強が足りませんでした、すみません」)


錯就錯在她多了説一個「才」字、觀衆因此對她誤解如此深。
(彼女が「だけ」と一言余計に言ってしまったがために、視聴者の誤解をこんなにも深めてしまった)


前半の部分に関しては報道とほぼ同じですが、楊丞琳の側としては誤解だと釈明するほうに重点があったようです。

不過大陸媒體報導楊丞琳在參加央視録影時、念了一封「道歉信」
(しかし大陸のメディアは、楊丞琳がTV局の撮影で、「お詫び状」を読み上げたと報道した)
楊丞琳確實對發言失當表示道歉、但那張只有40個字的信紙、是「感謝信」絶非「道歉信」。
(楊丞琳はたしかに不適切な発言については謝ったが、あの40字しか書いてない手紙は「感謝状」であって「お詫び状」などではないと事務所は言う)


この「詫び状」と言うのは「痛いニュース」でも貼られていました。もとは人民網(参照)からの引用ですが、どう見ても「詫び状」の内容ではありません。(人民網上では「お詫び状」とは書かれていませんし、もとい一目見れば内容を誤解しようがありません。)

大家好 我是楊丞琳 (みなさん、こんにちは。楊丞琳です)
我不太會説話 (あまりお話をすることはできませんが)
但還好有所有的媒體 (すべてのメディアの方たち)
和歌迷朋友們一路的支持 (それにファンのみんなに応援してもらえてよかったです)
今後… (これからは…)
我會更努力的做好表演的工作 (もっと頑張っていい仕事をしたいです)
真的非常謝謝你們 (本当に心より感謝しています)


以上のように楊丞琳さんのきたない直筆で書かれていますが、きたない達筆なのは、大陸のファンを意識してか、ところどころ簡体字を使っているからだと思うことにしましょう。(「但」とか「和」も大陸を意識してるのでしょうか。あるいはただの文語体なのか。)
さておき、もともと楊丞琳さんがクイズ?をまちがえたことから、まちがいは始まりました。そして楊丞琳さんの主目的が「誤解を解く」ことにあったとすれば、「謝罪した」ということだけが認識されているのは、更なる誤解でしかありません。単なる「流言の尾ひれ」にすぎない部分も謝罪したと、事実化してしまうわけです。彼女は、その部分はネット上で広まった流言だと釈明して、謝罪してはいません。

また一部では「日本を擁護する発言をした親日派アイドル」という扱いになっていますが、そもそも件の番組では南京事件などの話題は出ていないのが事実です(人民網にもそうあります)。いずれにしても親日とか嫌中とかあまりそういうのに振り回さないで上げて欲しいところ。
もうひとつ残念な点があるとすれば、今回のニュース一連ではあまり取り沙汰されてませんでしたが、「人民網」に掲載されていた以下の部分(原文は簡体字)。こういうのを釈明しなければならないというのは、なんともやるせない気がします。

我從來沒有表示過哈日的態度、在我剛出道時、公司的確對我的形象設計比較跟隨日本的時尚、但這都不是我決定的
(私はもともと日本好きだと表明したことはありません。デビューしたばかりのころ、事務所が私のファッションを日本の流行に合わせてコーディネートしたんです。これも私が決めたことではありません。)

さよなら、中正空港

昨年(2006年)の秋口、台北の中正空港(中正國際機場)の名称が桃園空港に改正されました。私の帰国がせまったひと月前のことです。そのころ、もうすぐ帰国しますという話を人にするたびに、決まって言ってたことがありました。
「でも、もしかしたら帰れないかも知れませんね。だって、タクシーに乗るでしょう。”運転手さん、中正機場までお願いします”
 だけどいくら走っても空港には着かないの。”お客さん、桃園機場ならあるみたいだけど、中正機場ってのは見つからないよ”」

「桃園(tao yuan)」というのは地名です。桃園にあるから桃園空港。一方、「中正」というのは台湾の総統・蒋介石の号です。なので、この空港の英文表記は「Chiang Kai-Shek International Airport」でした。「JFK空港」とか「シャルル・ド・ゴール空港」みたいなものです。
なぜ人名から地名に変わったかといえば、まず権力者の個人名を冠するというのは、前時代的な慣習ではないかということ。そこには台湾の歴史的な経緯があります。台湾本省人にとって蒋介石の国民党(國民黨)は外来政権だったわけです。つまり空港から「中正」の名前を外すことは、レニングラードをサンクトペテルブルクに変えるようなものでしょう。

それで、こちらの「戦闘機”經國”の後継機の名称が”雄鷹”に決まった」という記事(参照)。
「經國」というのは、蒋介石の息子で、同じく台湾の総統であった蒋経国に由来しています。蒋経国については強権支配をしたので、かなり評判は悪いのですが、政治家・統治者としての手腕は歴史的に評価すべき点は多く、こんにちの台湾の民主化や経済発展の端緒は彼によるものとも言えます。そして時代は、次期戦闘機に人名ではなく、中立的な名前がつけられるようになりました。

この数年続いているこういった傾向は「正名(名を正す)運動」と呼ばれています。こういった運動は一部の急進的な台湾独立派によって行われているようです。
「中國文化大學」という学校があるのですが、二、三年前には「台湾にあるのに”中國”と名がついているのはおかしい」と批判を浴びました。この種の運動というのはヒステリックに暴走しがちなもので、日本で言えば「言葉狩り」や、古くは「排仏毀釈」と同様といえるかもしれません。
その行き過ぎを揶揄したのが、このネットユーザーたちのユーモア。「だったら”中秋節”もこれからは”台秋節”にすればどうだ」(参照
先日この話題を台湾人としたら「台中はどうすんの?」と聞かれたので、「台台」と答えて大笑いされました。

正名運動というのは、台湾は「台湾」であって「中國」ではないという原理主義です。もちろん「中秋」や「中古車」の「中」の文字は「”中”國」のそれではないわけです。「民進党’中’央部も民進党’台’央部に変えたらどうだ?」と皮肉られているのは、正名運動を推進しているのが民進党だから。民進党(民主進歩党)というのは台湾民主化後の地生えの政党で、外来の国民党とは対抗軸にあります。
それで現在「國語(公用語)」と指定されている北京官話も、もとは支配者:国民党が強制したものなので、台湾語や原住民族の言葉もすべて「國語」に制定しよう、という運動をしています。(参照
私も「バベルと国語」なんてエントリを書いたんですが、やっぱり新聞記事も「バベルの塔(巴別塔)」の神話にひっかけて書かれていました。

その記事で、私は外国人の立場としては「中文」って呼び方がいいのでは、と書きました。でもこれは正に「中國の”中”」です。「漢語」というのも「漢民族の言葉」という意味も持ってしまうので、こちらも政治的な差し障りが出てきそうです。それじゃ、いわゆる「中国語」をなんて呼べばいいのか。新聞記事には「華語」が最も適切な呼称じゃないか、という意見があって(参照)、ああなるほど、と深く感心してしまいました。

新聞記事を訳していると、個々の記事も背景でこんなふうに繋がっているのに気づきます。記事の概要を訳すだけじゃなくて、こう言った繋がりもどこかで補足してみたいなあ、などと思っている次第です。

用FC2,寫部落格日誌也都簡單阿!

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