zakki - ポエツ | poets

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百年好合

知り合いの姉妹の姉のほうがようやく結婚したらしい。妹のほうは二年前に結婚してすでに一児の母だ。小柄で臆病で繊細な姉と、ふくよかで大らかで人見知りしない妹。好対照な姉妹は、コントのデコボコ・コンビみたいで、端で見ててたいへんおもしろかったです。
妹は母親が紹介した男性とさっさと結婚しちゃったけど、姉のほうは親が決めた相手なんて嫌だとずっとあらがってた。私と知りあったころは、悩んで泣いてる姿も見ました。でも親が選んできた相手だからって悪いとは言えないじゃない。何年か遠回りして結局そこに収まったみたいだけど、それはそれでいいと思う。いいかげんこの年齢になると、長いものに巻かれるか、それが嫌なら自分が長くなって巻くしかないんだし。

百年好合(bai nian hao he)、末長く睦まじく。
中国語で結婚をことほぐ言葉。百年いつまでも仲良く。

先日、知人の台湾人が言っていたけど、台北での離婚率は非常に高くて、数組に一組の割合らしい。
「じゃあ”三年好合”だね」と言うと、一、二年でも持つならまだいいと言う。彼女がいつだったか出席した披露宴で新郎が「もう離婚が決まった」と話していたそうだ。1年前から式場を予約して準備を進めていたし、これだけ人を招待してしまった以上、披露宴を中止にしては「没面子(面子が立たない)」のだと言う。披露宴だけやって離婚てのも十分「没面子」だと思うんだけど。

月下老人という故事がある。日本語では四字成語で「月下氷人」とも言います。縁結びの神様で、月下老人の持っている台帳には誰と誰がいつ結ばれるかが書かれているそうです。親の決めた相手だろうと、それはすでに月下老人の台帳には記載されていることなのでしょう。簡単にくっついたり離れたりしたら、月下老人の台帳も書き直しばかりになってしまいます。
だから百年好合。いつまでもお幸せに。

北京のひと

最近なにかと中国の無秩序ぶりが取り沙汰されています。人体に害のある食品を輸出しているだの、国内の環境汚染が著しく悪化しているだので、いよいよ来年に差し迫ったオリンピックはだいじょうぶなのか? と反中感情のない人でも、このところ中国を猜疑的に見るようになっています。もっとも「オリンピック」なんてイベント自体の価値が、紅白歌合戦と同じくらいどうでもよくなってる気がしますが、紅白歌合戦の出場を断っても歌手はやっていけますが、スポーツ選手は代わりになる舞台が他になかったりしますから。それはさておき。

はじめてネイティブの方から中国語を教わったときの先生は北京の人でした。まだ23、4歳の若くて可愛らしいかたで、とてもきれいな日本語を話しました。授業もかなり落ち着いた様子で、私は完全に語学教師だと思い込んでいたのですが、まだ大学生でアルバイトだと知ったのは、彼女から就職が決まったと知らされたときでした。
日本の大手化粧品会社でした。中国人の髪や肌の色は日本人に近いだけ、マックスファクターなどの欧米系の商品よりも中国女性に適していて、各社とも中国市場の開拓には力を入れていると聞きます。

その彼女との最後の会話授業の話題が北京オリンピックでした。
「北京現地の人たちはオリンピック開催ってどう感じてるんですか」と、当時はまったく中国語の話せなかった私は日本語で聞き、彼女も日本語で答えました。中国語会話の授業じゃないよね。ともかく彼女は目を輝かせながら言うのです。
「やっぱりとても嬉しいです。日本みたいにたくさん物があって、豊かになってしまうと分からないかもしれませんが、私の国はずっと貧しい国でしたから、こういう大きな国際大会が開けるというのは本当に夢のようです」
「特に市民の人たちが喜んでいるのは、前回の選出の時にぎりぎりで落選してしまったからなんです。前回は開催確実とされていただけに、落ちたときにはみんな泣いて悔しがりました。そのぶん、今回決まったときには喜びが倍になったんです」
彼女は黒目がちな瞳をきらきらさせながら話していました。たしかに彼女の言うとおり、こういったことを純粋に興奮と喜びを覚えるには、今の日本人は少し擦れてしまったのかもしれません。私が知っている北京のひとは彼女一人しかいません。それでも、オリンピックについて嬉しそうに語ってくれた彼女の表情を思い出すと、なんとか無事成功したらいいなと思ってしまいます。

もはやスパイダーマン!

5月1日から『スパイダーマン3』が、世界に先駆けて日本で「最速公開!」だそうです。
「速い」と「早い」の違いがわかんないのかしらん? って言うのは野暮ですか、そうですか。で「最早」と表記してみたら「もはや」としか読めない…。
「もはや公開、スパイダーマン!」
うーん、意味は通じなくもない。

大人はわかってくれない 子供はもっとわかってくれないけど

「来年はどんな年にしようとか、目標とかあるの?」
昨年12月末に、友人とサンマルクカフェで話していた時のことだ。特にこれを目標にしよう、と年ごとに新たな決意をすることなんてしてないので、このときも答えようがなかったけど、少し前から考えていたことが、ふと口をついて出てきた。
「どうって言うのはないけど、もう”戦う”ってのは止めようと思ったんだよね」
いや、もちろんこれから努力したり、挑んだり打開すべきことはたくさんあるけど、そういうのを「戦う」とか「打ち負かす」とか、そういう表現で呼ぶのを止めたいと思うんだ。そういうの好きだし、自分を鼓舞する上で必要だった部分もあるんだけど、「戦う」ってことばを冠しちゃうとそれに酔っちゃう気もするし。
そんな話をしたけど、今でもちょっと順調にいかないことがあると、すぐに悲壮に「戦っている」モードに突入しちゃうのはよくない癖だ。

田口ランディ公式ブログ:書道と子供

家で書道の練習をしていたら、子供がやってきて「私も書いてみたい!」と言う。「いいよ、いっしょに書こう」と、二人でお手本を見ながら練習を始めたのだが……、まだ一文字も書かないうちから、子供がめそめそ泣き出した。「どうしたの?」と聞いたら、「うまく書けない」と言うのだ。びっくりしてしまった。


私はショックを受けた。なぜ、こんなに「うまく書く」ということにこだわるんだろうか。書けないことが泣くほど辛いことなのか。どうして? わからん。


私もうまくできないとすぐ泣くから(今でもだ!)、べつに奇妙とも思わない。むしろ「わからん」と言う人がいることにショックを受けた。「びっくりしてしまった」。
ランディさんは、泣くばかりで努力しないことを怒っているんだってことは分かっている。なぜ泣くかといえば悔しくて、もどかしいからで、自分が理想に描いていた「成功像」とはかけ離れた現実が突きつけられたからだ。

いつまでもぐずぐずぐずぐず、できないだの、書けないだのとごねて、とうとう書かずに終わってしまった。


こういう場合、人前では練習しないだろうと思う。ランディさんが指摘するように「努力しない」のとは少し違う。自分がそういう性格なんだけど、人の見ていないところで練習して、ある程度サマになってからでないと、気後れしてしまう。恥を重ねて、転んで、泥だらけになってこそじゃないか、と言う意見は正しい。そっちのほうが上達は早い。でも正しいとは分かっていても性格的に受け容れられないこともある。

動物実験っていうのは、最近の疑似科学の風潮もあって、にわかに鵜呑みにしがたいが、「チンパンジーとオランウータン」の知能実験の話がある。
透明なプラスチックの容器にバナナが入っていて、見ることはできる。ただ抽き出しにはちょっとした仕掛けがあって、ただ引くだけでは開けられない。チンパンジーは積極的なトライアル&エラー型だと言う。ひたすら抽き出しをいじり続けているうちに、開ける仕掛けを見つけてバナナを手に入れる。ひたすら挑み続けるので1分で開く時もあれば、10分かかるときもある。
一方、オランウータンは、抽き出しに仕掛けがあって開けられないことを知るとその場を離れる。しばらくすると戻ってくるが、今度は違う方法で開けようとする。それがうまくいかないとやはり立ち去るが、また来たときには更に違う方法を試して、やがてバナナを手に入れる。
二者はスタイルが違うだけで、知能というか、到る結果に変わりはない。ただ、すぐあきらめたように見えてしまうオランウータン型は愚鈍な印象を与えるらしい。またチンパンジーのように「とりあえず取りかかる」型は、1分で成功することもあるが、必ず思考時間が挟まるオランウータン型では、一定の時間を費消してしまうことは確かだ。そしてこの社会ではチンパンジー型の方が評価も高く、得るものが多いとは、私も思っている。心情的にはオランウータンだけど、残念なことにチンパンジーを装わないと切り抜けられない局面だって多いのだ。
あの池田屋で真木和泉が、「形が足利尊氏でも、心が楠木正成ならよいではないか」という珍妙な名言を述べているけど、「心はオランウータンのままで、形はチンパンジーを装おう」と思っているこのごろである。

清邁の戀人

七月の夜の街をてくてく歩いて帰ってきた。お酒を飲んだわけでもないけど、とてもいい心地だった。
部屋の電灯はつけなかった。ここに入居してから1年以上経つけど、人が来たとき以外は電気をつけたことがない。机の上の電気スタンドとブラインド越しに入ってくる街路灯の光だけで、この小さな部屋には十分だった。慣れてしまえば、この溶けるような闇が落ち着く。
部屋に戻っていくばくもしないうちに電話が鳴った。まるで今戻ってきたのを知っていたかのように。

佳韻からの電話だというのはわかった。ここのとこ佳韻は週に一度か二度、電話をして来るようになっていたけど、半月前のメールを受け取ってから今まで、佳韻からと思われた電話には出ないようにしていた。出るのが怖かったから。
でも、この日は観念ができたかのように、彼はすんなりと受話器を上げた。理由はくだらないといえばくだらないが、今夜は兼ねてから食事に誘っていた女の子とパスタを食べてきたから。ただそれだけのことで、べつにその子とどうなったわけでも何でもない。でもそれだけで、半月のあいだ避けてきた佳韻の電話を受ける気になったのだから、あまりに愚かしい。
「もしもし」
鼻にかかった独特の佳韻の声を聞いて、彼はやはり少し動揺し始めた。でも佳韻の様子もおかしいってことは声を聴いてすぐにわかった。
「佳韻、声がいつもと違わない?」
「いっしょだよ」
「いや、へんだよ。飲んでるの?」
「飲んでないよ。いま寝転がりながら電話してるから」
「そうか。今日、仕事がたいへんだったんだ」
「うん、疲れてんの。ねえ、もう寝てもいい」
自分から電話して来て、何を言ってるんだろう。このまま切ってしまえば、今日の話は終わるけど、たぶん話をするなら今がいい。
「わかった、わかった。もう寝ていいよ。でも話があるからちょっと待って」
順を追って、うまく自分の考えを伝えなきゃならない。彼は前々から心の中で用意していたセリフを口にしようとした。
「このあいだ、メールをくれたでしょ」
「ねえ、私たちつきあう、の?」
佳韻の話はあまりにも早かった。彼が念入りに準備した回りくどいセリフはすべて使われることもなく終わるしかなかった。しかしなんだって「つきあう、の?」と変なところに間が空くんだろうか。これじゃもう白旗を上げるしかない。
「つきあうよ、つきあう、つきあうからさ、早くこっちへ戻っておいで」
「うん」
佳韻が寝返りをする音が受話器越しに聴こえる。うん、と返事をしたんじゃなく、寝返りで唸っただけかもしれない。
「早くこっちへ来ないと、いっしょにいられる時間がどれだけあるかわからないよ。佳韻、聴いてる?」
「ねえ…、今日はとっても疲れてんの。もう寝る」
「うん、わかった。早く寝な。おやすみ」
「おやすみ」
何の余韻もなしに電話は切られた。掛かってきてから切れるまで、ぜんぶ佳韻のペースだった。
もう向こう側に佳韻がいなくなってしまった受話器に、彼はしばらく耳を当てたままでいた。部屋に満ちる七月の闇夜がいつにもまして優しく感じられた。

私訳『清邁的情人』

「ブロゴスフィア」の代用語になりそうにない 11案

えっけんさんが「ブロゴスフィア」の代用語で判りやすいのを考えているそうなので、私もいくつか考えてみることにしました。タイトルに「×個」とか「×カ条」とか数字を入れると、アクセスが伸びるとか伸びないとか。

1、ブログ世間
略して「ブロッケン」。もしくは「ぶっけん」でもいいのかも。かえって意味わからりづらくなってるし。
ブログ世間は鬼ばかりです。

2、ブログ巷(ちまた)
3、ブログちたま(地球)
(3)は(2)をひっくり返しただけ。でもスフィア(sphere)って球体のことですから。

4、ブログローブ(bloglobe)
地球といえば globe。上から読んでも下から読んでも「ブログローブ」。違うよ、ぜんぜん違うよ。

5、ブログ園
6、ブロ御苑(ぶろごえん、ぶろぎょえん)
「圏」をまちがえて「園」と書いてしまってもこれで安心。考えてみればブログ界隈だって、動物園とか幼稚園みたいなところかもしれませんし。
(6)は「苑」の字違いで、新宿御苑みたいにちょっとセレブなところです。

7、ブロヶ原(ぶろがはら)
天下分目の決戦があったり、広がる樹海には白骨が散らばっていたりします。

8、ブログが丘
新興住宅地…ではありません。「君のいない天国ならば、君のいるブロゴスフィアを選ぶ!」。

以上を考えてみて、あえて「ブログ」って言葉をつけなくてもいいんじゃないかと思いました。
「ユーザーエクスペリエンス」に「おもてなし」って言葉を当てたみたいに、直訳に近くなくていいかもしれません。(Life is beautiful:デジタルデバイドとユーザーエクスペリエンス

9、銭湯
いや、ほらブロゴスフィアって公衆浴場みたいなところじゃないですか。「1010」とも表記できるし、そうすると「IOIO」とか「テンテン」とかジャーゴン化しそうなところもまた好し。
「ブログ→風呂具→銭湯」って連想だったのはひみつ。

10、相撲部屋(スモーベヤ)
いや、ほらブロゴスフィアって角界みたいなところじゃないですか。「横綱」=アルファブロガーがいて、以下、大関・関脇… 果ては一人相撲まで。コメント欄で座布団投げたり
「ブロゴスフィア→ブロゴスへヤ→ブロゴスモヘヤ」って連想だったのはひみつ。

11、26区
東京より3区多いってのがポイントです。じゃなくて「26区」をむりやり「ブログ」と読めば… 「26」だけでも「ブログ」って読めなくもないよなあ。

あー、がんばって考えたけど、ぜんぶダメだ。「判りやすい」んじゃなくて、どれもジャーゴンになっちゃってるじゃないか!?

桜の歌なんて

ラジオでも有線でも、やたら桜の歌ばかり流れていて、もうお腹いっぱいです。季節の機微というのをどう考えているのでしょうか、みなさん。
え? まさに季節にぴったりじゃないかって?
私が桜に想いを馳せるのは12月か1月ですよ。もっとも寒い時期や、ようやく寒さが山を越えるころに、桜の季節に思いを馳せるのです。
これは別に私だけじゃないでしょ。妙なときに夏祭りの花火とか、銀杏の葉で黄金にそまったアスファルトの風景が懐かしくならないですか。

ひとは過ぎ去りし日々と、来る未来に思いを馳せるものなんです。…は遠きに在りて想うもの。桜が散ってしまって、ああ儚くも無常にも散ってしまったなあ、と葉桜を見上げながら桜の歌を口ずさみましょう。
そんなわけでそろそろ、夏と海の歌をパワープレイして欲しいです、DJさん。

最近、このブログだって中国語の話ばかり書いていているじゃありませんか? 住んでいたころはロクに…(略)

用FC2,寫部落格日誌也都簡單阿!

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