Twitterブックマークレット "oldestwit"
スイーツ(笑)のキモチ
そのような女性が洋菓子・デザートのことをスイーツと呼ぶことに由来する。
スイーツ(笑)とは - はてなダイアリー
なにやら話題になっていましたが、私は「スイーツ(スウィーツ)」という言葉に、この種の恥ずかしさや抵抗感を覚えません。だって、これに相当する端的な日本語がないでしょう? 対応する適当な日本語があるのに、わざわざ言い換えているのであれば、その種の鼻につく感じというのは解ります。
「sweets」は、たしか中学の授業で出て来た単語だと思いますが、始めて知ったときは「甘い(sweet)」を複数形にするだけでいいのかあ、という感慨でした。いちいち「甘いお菓子」と訳していた覚えがあります。
そうです。「菓子」とだけ言った場合には、お煎餅や柿の種、ポテトチップスなどもそうですが、「スイーツ」には入りません。普及している既存の単語をあてるなら「砂糖菓子」でしょうか。
中国語では「甜點」と言います。もしかしたら「sweets」の訳語なのかも知れませんが、こちらも読んで字のごとく、そのまんま「甘いもの」です。
そんなわけで「あまもの」と呼ぶのが一番いいのではないかと思います。漢字で書けば「甘物」ですが、乾物やら奸物やらと混同されそうなので、ひらがなで書くべきでしょう。ひらがなで書くといっそう甘く見えるし。
そしてこの「あ」、「ま」、「も」、「の」を声に出してみると、実に丸っこくて、「スイーツ」というシャープな響きに較べ、よりいっそう甘くて好い感じがするんです。
現時点での検索結果を見る限りまだまだのようですし、これから定着させていくってのはどうでしょう。あまもの(笑)
Google 「あまもの」の検索結果
Twitter と Feecle 比較メモ
いまさらですが、Twitter と Feecle の比較をメモしておきます。
6月に両方のアカウントを取得した時、Feecle は「日本にも Twitter みたいなサービスがあるよ」と言う触れ込みで知ったので、数ある Twitter の亜流か、日本的なローカライズのようなものかと考えてました。
【Feecle のポータル】

どちらもマイクロブログ、ミニブログ、と呼称される類いですが、比較すればかなり違います。近似のサービスとして紹介されていることが多いような感じですが、実質は近似と括れるほどではないです。
【Feecle のユーザホーム】

ポータルページこそ、ユーザ全員のエントリが混在して時系列で並んでいる点では似ています。しかしユーザのページ(自他とも)を開くと Twitter との違いは一目瞭然。自分の(そのユーザの)エントリだけが表示されます。
エントリは修正が可能で、それぞれにコメントを付けることができ、画像の添付も可能。「ブログをコンパクトにしたもの」と言う意味であれば、 Feecle のほうが「マイクロブログ」という感じです。
【Twitter のユーザホーム】

一方、Twitter の自分の「ホーム」は、follow したユーザと混在です。これが根本的な設計思想の違いあらわしているでしょう。たとえば「friends」のようなページが別にあって、そこにfollow したユーザのエントリが格納される…わけじゃない。自分のホームであっても、更新しなければ自分のエントリは他のユーザに押し流されます。
エントリの修正機能はなく、投稿文字数の制限があって、文章は改行もできない。他のユーザとのやりとりは@をつけて、これも文中にいれる。そうなると基本はひたすら投稿するしかない。大幅に制約することで、ユーザが取る行動を集約し、特定の方向へ促進させる、迷わせない。
もっとも重視すべきは「リズム」ではないかと思います。
もしTwitter に投稿の編集機能があったら、文字制限がかなり緩かったら、画像が添付できたら、各エントリにコメントが付けられたら… とどれかがついただけでも軽快なリズムが失われることは想像に難くないです。
6月に両方のアカウントを取得した時、Feecle は「日本にも Twitter みたいなサービスがあるよ」と言う触れ込みで知ったので、数ある Twitter の亜流か、日本的なローカライズのようなものかと考えてました。
【Feecle のポータル】

どちらもマイクロブログ、ミニブログ、と呼称される類いですが、比較すればかなり違います。近似のサービスとして紹介されていることが多いような感じですが、実質は近似と括れるほどではないです。
【Feecle のユーザホーム】

ポータルページこそ、ユーザ全員のエントリが混在して時系列で並んでいる点では似ています。しかしユーザのページ(自他とも)を開くと Twitter との違いは一目瞭然。自分の(そのユーザの)エントリだけが表示されます。
エントリは修正が可能で、それぞれにコメントを付けることができ、画像の添付も可能。「ブログをコンパクトにしたもの」と言う意味であれば、 Feecle のほうが「マイクロブログ」という感じです。
【Twitter のユーザホーム】

一方、Twitter の自分の「ホーム」は、follow したユーザと混在です。これが根本的な設計思想の違いあらわしているでしょう。たとえば「friends」のようなページが別にあって、そこにfollow したユーザのエントリが格納される…わけじゃない。自分のホームであっても、更新しなければ自分のエントリは他のユーザに押し流されます。
エントリの修正機能はなく、投稿文字数の制限があって、文章は改行もできない。他のユーザとのやりとりは@をつけて、これも文中にいれる。そうなると基本はひたすら投稿するしかない。大幅に制約することで、ユーザが取る行動を集約し、特定の方向へ促進させる、迷わせない。
もっとも重視すべきは「リズム」ではないかと思います。
もしTwitter に投稿の編集機能があったら、文字制限がかなり緩かったら、画像が添付できたら、各エントリにコメントが付けられたら… とどれかがついただけでも軽快なリズムが失われることは想像に難くないです。
サムネイルが表わすもの
はじめてウェブサイトを作り始めたのは、自分のイラストや撮影した写真を展示するためでした。当時は直接の知り合いに告知して見てもらうか、自分がギャラリーなんかでイラストを展示した時に、フライヤーに記載しておくかでした。
サイトのレイアウトはと言えば、作品のサムネイル画像が並べてあって、クリックすると4~500ピクセルの画像が開く形式です。当時は極度にミニマルなデザイン(豆文字とか)が流行っていた影響もあって、サムネイルもせいぜい40ピクセルくらいの、拡大画像を開くボタンの役割を果たせばいいかなというサイズ。
親しい仲間の一人に、こまめに訪問してくれて、コメントもよくくれた人がいました。サイトを訪問してくれるようになって1年くらいが過ぎたころだったでしょうか、会話の何かの拍子に、彼が「サムネイル」と言うものを認識していないことが発覚しました。
「え!? あれクリックすると大きくなるの? ずいぶん小さな画像だなってずっと思いながら、目を凝らして見てたよ」
もちろんマウスポインタは変えたりしてないし、レイアウトも整然とサムネイルを並べただけで、とくに凝ったりはしていません。ただ彼はあまりウェブを閲覧しないせいもあってか、「サムネイル一覧はクリックすると拡大画像が表示される(ことが多い)」という概念がなかったのでしょう。
これを「常識」って言葉で片づけてしまうと、何かを見落としてしまう気もします。「サムネイルをクリックすると開く」のは、「慣例」ではあってもアフォーダンス(参照)ではないと言えます。
サイトのレイアウトはと言えば、作品のサムネイル画像が並べてあって、クリックすると4~500ピクセルの画像が開く形式です。当時は極度にミニマルなデザイン(豆文字とか)が流行っていた影響もあって、サムネイルもせいぜい40ピクセルくらいの、拡大画像を開くボタンの役割を果たせばいいかなというサイズ。
親しい仲間の一人に、こまめに訪問してくれて、コメントもよくくれた人がいました。サイトを訪問してくれるようになって1年くらいが過ぎたころだったでしょうか、会話の何かの拍子に、彼が「サムネイル」と言うものを認識していないことが発覚しました。
「え!? あれクリックすると大きくなるの? ずいぶん小さな画像だなってずっと思いながら、目を凝らして見てたよ」
もちろんマウスポインタは変えたりしてないし、レイアウトも整然とサムネイルを並べただけで、とくに凝ったりはしていません。ただ彼はあまりウェブを閲覧しないせいもあってか、「サムネイル一覧はクリックすると拡大画像が表示される(ことが多い)」という概念がなかったのでしょう。
これを「常識」って言葉で片づけてしまうと、何かを見落としてしまう気もします。「サムネイルをクリックすると開く」のは、「慣例」ではあってもアフォーダンス(参照)ではないと言えます。
イデアな腕時計
腕時計を買ったのは十年ぶりくらい。ひとめぼれでした。
哲学の言葉で「イデア」ってありますけど、「概念」とか「定義」と言い換えてもいいでしょうか。LEXON(レクソン)のこの製品・LASERですが、まるで私の中の「腕時計のイデア」がそのまま「具体」化されたよう。

ちなみに私が腕時計に求めているスペック
・1~12までの文字が全部入っている。
(お恥ずかしいですが、12/3/6/9 だけだと何時か読めないです)
・文字盤と針の色のコントラストがはっきりしている。
(光沢の強い銀色:メタリックの針とかだと読みづらい)
・秒針がある
(だいたいありますけど。PCのデジタルもそうですが、秒がないと動いてるのか不安になる)
あと余計なものは不要です。カレンダーはあってもいいです。
細かい部分を言うと、時針や秒針は先端が尖ったり細くなったりするデザインがありますが、LEXONのはほとんど直線。デザイン上・構造上の、凹凸・溝(継ぎ目)・ゆがみなどを排除している点では、アップル製品に通じるものを感じます。
惜しむらくはベルト。あんまりデザインされてない感があるのは気のせいでしょうか。LEXONの別の製品では、先端までベタッと直線・鋭角で構成されたのがあって、ベルトはあっちがよかったな。でも文字盤に数字がないタイプ…。

男性モデルだと少しベルトも太くなって見た目はいいのだけど、時計本体も大きくなってしまうし。なんで男性モデルだと大きくするのかは以前からの疑問です。この手のデザインならユニセックス1モデルでの展開でもいいかも。
[参照]
レクソンショップ
CONNECT ←サイトtitleはちゃんとしてほしい…
哲学の言葉で「イデア」ってありますけど、「概念」とか「定義」と言い換えてもいいでしょうか。LEXON(レクソン)のこの製品・LASERですが、まるで私の中の「腕時計のイデア」がそのまま「具体」化されたよう。

ちなみに私が腕時計に求めているスペック
・1~12までの文字が全部入っている。
(お恥ずかしいですが、12/3/6/9 だけだと何時か読めないです)
・文字盤と針の色のコントラストがはっきりしている。
(光沢の強い銀色:メタリックの針とかだと読みづらい)
・秒針がある
(だいたいありますけど。PCのデジタルもそうですが、秒がないと動いてるのか不安になる)
あと余計なものは不要です。カレンダーはあってもいいです。
細かい部分を言うと、時針や秒針は先端が尖ったり細くなったりするデザインがありますが、LEXONのはほとんど直線。デザイン上・構造上の、凹凸・溝(継ぎ目)・ゆがみなどを排除している点では、アップル製品に通じるものを感じます。
惜しむらくはベルト。あんまりデザインされてない感があるのは気のせいでしょうか。LEXONの別の製品では、先端までベタッと直線・鋭角で構成されたのがあって、ベルトはあっちがよかったな。でも文字盤に数字がないタイプ…。

男性モデルだと少しベルトも太くなって見た目はいいのだけど、時計本体も大きくなってしまうし。なんで男性モデルだと大きくするのかは以前からの疑問です。この手のデザインならユニセックス1モデルでの展開でもいいかも。
[参照]
レクソンショップ
CONNECT ←サイトtitleはちゃんとしてほしい…
まだ十八歳だった
川端の屋外ライブで、メガネ好男子がギターをかき鳴らしながら歌っていた。
歌はうまくなかったけれど味わい深さがある。有線から流れてきた歌ならCDで手に入るかもしれないけど、ふらりと通りかかったライブで耳にした歌は、たぶんもう二度は聴けないだろうな。
歌はうまくなかったけれど味わい深さがある。有線から流れてきた歌ならCDで手に入るかもしれないけど、ふらりと通りかかったライブで耳にした歌は、たぶんもう二度は聴けないだろうな。
歌詞の内容はこんな感じ。妙に印象に残る歌詞でした。灼ける夏の日 ハンサムな男の子と知りあって 今いる彼氏と別れた
今までもらったプレゼントは捨てるに捨てられないので ぜんぶママに上げた
そうして付き合い始めたのに すぐにふられた
やけになってタバコでも吸ってやろうとしたら 私はまだ十八歳だった
頼って生きることの大切さ
塩野七生氏のローマ人シリーズによれば、帝国の拡大に伴い、ローマ本土にはシチリアやエジプトなどから安い麦が輸入されるようになったため、国内(ローマ本土)の農業は衰退したり、あるいは葡萄などの嗜好品へと生産を切り替えたそうです。紀元前の昔からそうなのですから、いまさら食料自給率がどうのと言う必要はないのかもしれません。
そうであるからこそ、”パクス・ロマーナ”=ローマは「平和」を構築したんでしょう。「万が一の危機に備えて」よりも、その「危機」そのものを封じ込めようとした。
[参照]池田信夫 blog:食料自給率という幻想
独立、自分一人の力でなんとかすることは大事ですが、もっと重要なのは、周りと持ちつ持たれつの関係を保持することじゃないでしょうか。たとえば、他国が食糧を供給してくれなくなった場合のために自給率を上げるのではなく、そうならないように必ず支援してくれる関係を築いておくこと。「最大の安全保障は武器輸出国になること」なんて物騒な国際社会の現実もありますが、どんな状態であれ関係を持ち続けること、没交渉にならないことが重要。先の戦前も松岡洋右が国際連盟を脱退して、公式の窓口をひとつ失くしてしまいました。ただでさえ本邦は外交拙劣なんですから、食糧自給率の心配をするくらいなら、そっちに気を配ったほうがいいです。
先に挙げたローマ人の物語で、塩野七生氏はこんなことも書いてました。カエサルの借金の額があまりに大きかったために、債権者は彼が破産しないように気を使い(破産されたら何も返ってこなくなるから)、債務者であるカエサルのほうが立場が強くなった、と。資源輸入量が多い側としては、「もう売らないぞ」と相手に言われたらどうしようと不安になる。しかし逆の視点から見れば、商品を大量に買ってくれるお客様なわけで。売る相手を失ったら商売あがったりです。関係て、だいたいそんなふうに双方向的なもの。あるいは、ちゃんと相互依存に持ち込むようにしておけばいい。
などと言いつつ、私も日常、人に頼ることが下手です。お願いするときの気苦労なんかを考えると煩わしいから自力でやっちゃったほうが気がラク、みたいな。
でも人間て迷惑掛ける相手ほど、意外と気になったり親しくなったりするもので、手がかからない相手だと却って人間関係が巧く築けないみたいです。
そうであるからこそ、”パクス・ロマーナ”=ローマは「平和」を構築したんでしょう。「万が一の危機に備えて」よりも、その「危機」そのものを封じ込めようとした。
[参照]池田信夫 blog:食料自給率という幻想
独立、自分一人の力でなんとかすることは大事ですが、もっと重要なのは、周りと持ちつ持たれつの関係を保持することじゃないでしょうか。たとえば、他国が食糧を供給してくれなくなった場合のために自給率を上げるのではなく、そうならないように必ず支援してくれる関係を築いておくこと。「最大の安全保障は武器輸出国になること」なんて物騒な国際社会の現実もありますが、どんな状態であれ関係を持ち続けること、没交渉にならないことが重要。先の戦前も松岡洋右が国際連盟を脱退して、公式の窓口をひとつ失くしてしまいました。ただでさえ本邦は外交拙劣なんですから、食糧自給率の心配をするくらいなら、そっちに気を配ったほうがいいです。
先に挙げたローマ人の物語で、塩野七生氏はこんなことも書いてました。カエサルの借金の額があまりに大きかったために、債権者は彼が破産しないように気を使い(破産されたら何も返ってこなくなるから)、債務者であるカエサルのほうが立場が強くなった、と。資源輸入量が多い側としては、「もう売らないぞ」と相手に言われたらどうしようと不安になる。しかし逆の視点から見れば、商品を大量に買ってくれるお客様なわけで。売る相手を失ったら商売あがったりです。関係て、だいたいそんなふうに双方向的なもの。あるいは、ちゃんと相互依存に持ち込むようにしておけばいい。
などと言いつつ、私も日常、人に頼ることが下手です。お願いするときの気苦労なんかを考えると煩わしいから自力でやっちゃったほうが気がラク、みたいな。
でも人間て迷惑掛ける相手ほど、意外と気になったり親しくなったりするもので、手がかからない相手だと却って人間関係が巧く築けないみたいです。