2007年08月 - ポエツ | poets

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雌雄を決する

「雄が子供を産む動物ってなんだ?」
先日Twitter で書いてた話題ですが、もともとは友人に出題されたクイズでした。友人曰く、小学校で習ったし、アメリカ人に聞いてみてらやっぱり知っていたと。うっひゃあ、グローバルスタンダードですか、常識の範疇ですか?
翌日、答合わせをすると言うことになったので、さっそくグーグル検索! すると出て来るのは「タツノオトシゴ」。執拗に調べましたが、それ以外には出てきません(小学生で知ってるような常識と言うことなので、聞いたこともない生物はさておき)。
しかし、いくつかの説明を読むと、タツノオトシゴは「メスがオスの腹部に卵を産む」とあります。これって卵を、たとえば岩陰かなんかに産みつける代わりに、オスの腹部に産んだほうが外敵から保護できるってことで、「産んでるのはメス」であることに変わりないよねえ? と思っていました。

翌日の答合わせ。
「検索したけど満足な答は見つからなかったよ。でも答は読めたよ ……”熊”でしょ」
「はずれ! でも、なんでクマなの?」
「”雄”は音読で”ユウ”、”熊”も音読すれば”ユウ”。出題は”ユウが子供を産む”となるから、正解は”熊”。でしょ?」
「違う、頓智クイズじゃないから。正解はタツノオトシゴです」

しかし考えてみると「オスが出産する」ってこと自体がおかしんじゃないか? という疑問が湧いてきました。「メス」とは「出産する性である」とするなら、「オスが出産する」ってそもそも定義矛盾でしょう。出産するならその個体こそが「メス」なのでは。つまり、仮にタツノオトシゴはオスが出産するのだとすれば、タツノオトシゴのオスはオスではなくメスなのだよ! とか。
でも「出産する性がメス」って定義は乱暴にすぎますよね。もうちょっとマシな定義をすれば「卵(らん)を持つのが雌」、「精子を持つのが雄」でしょうか。で、一般的な胎生の場合、卵を持つメスの体内で受精されるので、「メスが出産する」ことになるわけです。
それで、もう少し調べてみると、タツノオトシゴはオスの体内で受精されるようです。つまり通常とは逆に、卵をオスの体内に入れるってことです。なので「産卵する」のはメスですが、「出産する」のはオスということになります。
よって「雄が子供を産む動物」は、「タツノオトシゴ」で正解みたいです。

[参照]BlurtIt:タツノオトシゴって雄が子供を産むんですか?
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ぶぶ漬けメソッドの合理性

前の記事で、京都の「ぶぶ漬け伝説」をとりあげて、「初心者向けのインターフェイスじゃないかもしれない」と書きました。発信する側のみでなく、受ける側にも察する能力が必要になる。昨今の用語で言えば”リテラシー”でしょうか。この婉曲な手法は、京都人のある種の陰険さの例にされたりしますが、まったく違うような気がしてきました。

よそ宅におじゃまして、つい過ごしてしまった頃、「ご夕飯どうされます?」とたずねられたらどうでしょうか。
おそらく多くの人は「要らない」と答えると思います。遠慮してそう答える人もいるでしょうけど、それよりもよその家庭料理なんて、そう食べたいとは思わないのでは。そこの家がちょっとした料理屋を営んでいるとか、民宿だとかならともかく、ただの他所宅の家庭料理なんて、そこまで進んで食べようとは思いません。あまりくつろいで食事もできないし、口に合わないかもしれません。しかし自分の家、あるいは食堂でなら「不味ければ食べない」でいいですが、他所宅となるとそうもいきません。
そう考えていくと、「ぶぶ漬け召し上がりますか」と聞けば、かなりの高確率で「要らない」という反応が期待できます。これは「お泊まりになれるよう、お布団ご用意しますね」とかでも同様です。
ぶぶ漬けだけ断っておいて、そのまま居座り続けるとか、「どうぞ召し上がってきて下さい。私待ってますから」と答える客もまずいないでしょう。つまり、ぶぶ漬けを断らせることは、そのまま帰らせることと直結しているわけです。

かなり相手のリテラシーに依存した方法ではないかと、はじめは考えていたのですが、まったくそんなものじゃありません。「空気嫁」とかよりもはるかに確実ですし、相手の察しの良し悪しにはそれほど依存していません。こちらの本意を察しなかったとしても、相手を帰らせる方向へ仕向けることはできます。
「そろそろ切り上げますか」と水を向ける頃合い、言い方には気を遣うものです。「もう帰って下さい」と言えば分かりやすいですが、いささか表現が直截的すぎます。その点、「ぶぶ漬けメソッド」は実に合理的で、この上なくエレガントな方法ではないでしょうか。

「ぶぶ漬け伝説」と「デザイン」

京都にまつわる逸話で「ぶぶ漬け」の話があります。よそ宅におじゃました時に、「ぶぶ漬けでも召し上がりますか」と聞かれたら、それは「そろそろ帰ってくれ」という合図で、間違っても喜んで「いただきます」と返事してはいけないとか。
以前、京都出身の先輩にそれを聞いたら一笑に付されましたが。その人のところでは「ぶぶ漬け」ともあまり言わないそうです。

それはともかく。帰って欲しいのに、「帰れ」と明示しないのはずいぶんと分かりにくいでしょう。でも、ある部分ではデザインと通じる気がします。「そうしろ」と言うのではなく、そうさせるように仕向ける、と言う点です。

《★このボタンを押す★》と強調大書して目立たせる。でもそれはデザインじゃない。適切な時に、自然とそのボタンを押させるような位置にボタンを配置すること。あるいはその逆に、望ましくない動作は自然と抑制させるようにする。
「こうしなさい」、「しないで下さい」、いずれにしろ強く指図される/するのは、あまり気分がよくない場合が多いわけです。

「ぶぶ漬け」の話は、されたくないことをされないように仕向ける、と言う意味で、QWERTY配列と少し似ているかも知れません。もっともこっちも伝説と言われているみたいで、タイプしにくいようにキー配列した、と言うのは正確ではないとかなんとか。
「ぶぶ漬け召し上がりますか」は、「はい是非!」と答えてしまう人が出てきてしまうことを考慮すると、初心者向けのインターフェイスじゃないかもしれないけど。
「ユーザーエクスペリエンス」は「おもてなし」だ、という記事(参照)が好きで、何度か取りあげましたが、同じように「デザイン」とは「心配り(こころくばり)」なんじゃないかなあと思います。

[参照]e京都ねっと 【どうぞぶぶ漬けでも・・・】

用FC2,寫部落格日誌也都簡單阿!

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