満州鉄道は単線だった - ポエツ | poets

Logs

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
司馬遼太郎『項羽と劉邦』は、大学入学のころ読むのを挫折した一冊だ。
その後も年に一、二回手を付けてみては、やはり挫折をくりかえした。ようやくこの本がおもしろい! と読了できたのは四年生になるころだったと思う。その後は四度ほど完読した。
なにがそこまで苦だったかと言えば、『項羽と劉邦』にはやたらと食糧の話ばかりが出てくる。英雄たちのもとに集まってくる兵たちはみな、食にありつくのが目当てで、項羽や劉邦は雑兵たちの食糧確保にしきりに難渋する。そして少しでも食が途絶えれば、集まった兵たちは離散する。
少し後になって、これを「兵站」と呼ぶのだと知ったが、当時は何がおもしろいのかわからない。英雄豪傑たちが快活に活躍し、彼らを慕って忠実な兵たちが馳せ参じ、高い志をかかげ、熱い戦いを繰り広げる活劇を期待している私には、あまりに退屈に感じられた。

当時「最近、ブンどうよ?」と声をかけてくる同級生がいた。
初め何のことかと思ったら、彼の言う「ブン」とは文学のことで、「最近おもしろい小説読んだ?」と聞いているのだった。ちなみに彼は音楽を「オト」と言っていた。「最近、いいオトある?」の意味は上に同様である。
逆に彼にたずね返すと、彼から「司馬遼太郎の『項羽と劉邦』」と答えが返ってきた。私はあんなにおもしろくないのよく読めたね、と言った。

戦争は壮大な算術に基づいてなりたっている。
兵隊と言うのは、どこの国の軍隊でも、なんでやたらと行進させられるんだろうと思っていたら、実はそれぞれの行進速度で歩幅が決められていて、一歩の歩幅が何十センチで、一時間行軍すると何キロ進める、というのを計算するためだと知った。
観兵式のためのページェントなんかじゃなかった。考えてみれば当たり前のことだ。数万の人間が列をなして移動する。それぞれ歩幅も速度も違う。そのままにしておいたらすぐに大渋滞だ。目標地点にいつ着けるか、計算がたたなければ作戦も立てられない。

私が石田三成に惚れたのもそこだった。
朝鮮半島へ十数万の軍隊を送るために、各地からどう九州へ兵を集合させるか、どれだけの数の船に分乗させるか、渡海した先で各隊にどう食糧を行き渡らせるか… ひとつ間違えば大惨事どころではない。
さらにすごいのは、結果これが撤退戦になったことだ。海を隔てた地から十数万の敗兵の引き上げを、三成はみごとに指揮したと言っていい。進軍より撤収の方が条件が厳しいことはいうまでもない。

これはいつの時代でも同じだ。
太平洋(大東亜)戦争のころ大陸を横断していた鉄道は基本的に単線だった(どこからどこまでが「満鉄」かは措く)。単線と言うことはつまり、往・復の車両が行き違うためには、複線になっている個所(駅など)で、それぞれがすれ違うのを待ち合わせねばならない。
当時のアナリストたちは、ソビエトがモスクワから極東まで兵団を運送するためには、どれくらいの時間が必要かを当然シミュレートしていた。単線での移動効率は良くない。モスクワから送られた兵力が、極東に集結できるまでは相当の日数がかかる、というのが正しい「計算」だった。

しかし歴史で周知のように、ソ連軍の満州侵攻は大方の予想を裏切る速度だった。
読んだ本によれば、ソ連軍は鉄道を「一方通行にしか使わなかった」というのだ。片端からどんどん車両を送り出し、到着した車両は線路から下ろす。車両を引き返させようと考えるから、どこでいつ車両を交差させようか、という複雑な計算が必要になる。計算したところで、運送効率の上昇はたかがしれている。往路のみを考えれば、そんな計算など無用の長物。
とは言え、これは常識を前提から覆す、破壊的発想だったともいえる。

…とここまで書き連ねておきながら、この文章には何の結論もない。
「Life is beautiful」の記事『ソフトウェアの仕様書は料理のレシピに似ている』を読みながら、ふと連想したよしなしごとを書いてみただけだったりする。
こちらの記事は「仕様書を書くだけの人と、実際にプログラムを組む現場との距離感・断絶、とその弊害」について書かれたもので、私の話題とはかすってもいない。

[keyword]*論評

comment


  管理者にだけ表示を許可する

trackback

用FC2,寫部落格日誌也都簡單阿!

検索語抽出

ポップアップ・コメント

poets designed

Ajax検索
AD

台湾留学 完全サポート

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。