下高井堂日記 - ポエツ | poets

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あれは兼好法師かなんだったか。とあるところに小さな庵をみつけて、こざっぱりとしてなかなか風情あると感じ入った。訪ねてみれば、主の成りから佇まいまで、俗世の油臭さが脱けきった風流人の様子。食すものから器まで、つまらぬ執着のないところなど希なると、ほとほと心服させられた。と庭先に目をやれば、妙に手入れの行き届いた柿の木が一本。周りがほどよく寂れているだけに、そこだけ不自然に浮き立っている。見上げれば艶やかな柿がたわわに実り、木の廻りは柵で囲われている。
「毎年実がつくのを楽しみにしているのですが、近所のわらしどもが悪さをするもので」と言う。ああ、この人にもまだつまらぬ我執があったものだと、一時の心酔も一気に醒めてしまった。

【1.下高井堂に棲む日々】
そう語り手は言う。浮世から隔絶した庵を結ぶなど、なまぬかにできるものではない。私も「下高井堂」などと号し、隠者を気どってはいても〈淡キ水ノ如キ〉境地にはほど遠い。しかしながら執着のない人間などおもしろくないではないかと考えているところへ、秘書のムラカミ小姐が帰ってきた。ドアを叩き付けるように閉めたところを見れば、ずいぶんおむずかりのご様子。いつものようにかばんを置くと、手を洗って冷蔵庫を開ける。
ごきげんナナメーゼ
ムラカミはくだらないことを言った私を怖い顔で睨みつけると、乱暴に冷蔵庫のドアを閉めた。そして注いだコーラを私の机にたんっ!と置いた。
「見ろ、そんなに怒るからコーラが発泡してるぞ」
「コーラとは本来的にそういうものですっ。先生、いま使ってないんでしたら、そのiBookを貸してください」
この下高井戸は松原の狭い事務所には、コムピュータと言えば林檎印のノートがこれ1台。
「何に使う?」
「ガマンいたし兼ねる件がありまして、抗議のメールを送ろうと思います」
その堪え兼ねることとは何ぞやと、心優しい私は水を向けてやることにした。聞けば出先でずいぶん非礼な待遇をされたと言う。小姐の報告を信じるなら、前後の状況からして先方の違約であることは明らかだ。

「そういうわけで、正義は我にアリ。抗議のひとつもしておかないと今後舐められます」
「だがなあムラカミ、抗議して、その後どうなる? 相手の態度の改善をもとめているのか、それとも謝罪か。
 なんの根拠があってそれが可能か。抗議するにしても後ろ盾となる力が必要じゃないか。相手をねじ伏せる力が」
「でも非があるのは先方じゃないですか」
「道理を味方にしたならそうかもしれない。先方の良心に期待して、非を咎めることで相手の反応が引き出せるかもな。
 ま、聞けば相手もそこまで悪い人でもないようだし、咎めれば申し訳なく思わせるくらいはできるかもしれないね。でも、そうしたところでお前には何の得るところもあるまい」
「でも、でも言わなきゃ気が済まないんですっ」
「そうだよ。だから気を収めるためだけなら、一方的に不平を吐きたいだけ吐けばいい。
 だけどお前に力も立場もないなら、相手をねじ伏せることはできない。先方は聞き流したり、黙殺すればいいだけだ。
 いや、まずそうなるだろう。そうされたら余計不満が募るだけじゃないのか、結局気休めにもならんのさ。文句を言った分、次回からは顔を合わすのも気まずくなるぞ」
「じゃ、先生だったらどうするんですか!」
「呑み下す。それしかあるまい。お前、このあいだ高尾山で買ってきた饅頭ひとりで全部食べちゃっただろ。あれと同じだと思えばいい」
「こし餡には目がないんです。でもこっちのは呑み下し難い苦さなんですが」
「こどものころ嫌いだったネギもピーマンもいつかは好きになる。こういう苦味を堪能できるようになれば、人生はずいぶん楽しくなる」
ムラカミは釈然としない顔をしたが、抗議のメールを送ることはいったんあきらめたようだ。だがなムラカミ、こいつはネギやピーマンとは違う。不平不満をこねて作った饅頭だ。美味く感じられるようになんてなるわけないし、逆に味に慣れてしまった人間なんて半分終わったようなもんだ。私はスガシカオ『光の川』の歌詞を思った。

〈ぼくらはこの世界で 孤独を飲み込むたびに苦笑いのふりをして 大人になろうとしたんだ〉

【2.名は體を表はし】
ため息をついたムラカミ小姐を慰めてやろうかと、私は話題を振った(私はかようにジェントルなのだ)。
「ここのサイトで今、こんな話題が出てるが、お前ならなにかアイディアはあるか?」
私は机の上のiBookをくるりと小姐へむけた。

Life is beautiful「デジタルデバイドとユーザーエクスペリエンス
「user experience をどう和訳するか、ですね」
「ものごとを理解把握するためには、適切かつ親しみやすいな名称が大切だと兼ねてから主張してるだろ。
 アート、スポーツ、デザイン… こういう言葉がどれだけ本質を理解する妨げになっていることか。
 何年か前、PC誌でIT関連の英語を日本語訳する連載があった。あれを書いていたのは誰だったか失念したが、内蔵ハードディスクを『大奥』と訳したのには感嘆した」
「〈江戸城の大奥〉の大奥、ですか。まさに見えない奥深くで諸事を取り仕切っている、って語感。直訳するなら硬盤、になっちゃいますけどね」
「いや、洒落じゃなく中国語はそのままだ。硬碟。光ディスク(CD)は光碟、ソフトフェアは軟體(軟件)」
「え! そうなんですか」
「おもしろいところでは〈随身聽〉かな」
「身体に、付随して、聴く…」
「ウォークマンに始まって、iPodに到るまでの、携帯オーディオの中文名称だ」
「ああ! これは膝ポンものですね!」
「ムラカミ、おまえ最初に〈日本語訳〉じゃなく〈和訳〉と言ったな。〈日本語〉はその中に漢語も取り込んでしまっているのだぞ。
 漢字の優れたところは個々の文字を知っていれば、組合わせの字面で意味がとれるところだ。今の〈随身聽〉がいい例だろう。
 さて、それを踏まえたところで、おまえが〈user experience〉を訳すなら和訳か漢訳か?」
「この記事のコメントで提案されてる『おもてなし』は、やまと言葉ですね。なかなか妙味があります」
「和語はやはり美しいのだが、さっき言った漢字の長所と、漢語圏で共有化できる点では漢訳も捨て難い」
「シモタカ先生はなにか案がおありですか」
「… ( ̄ - ̄)。oO(sug上人に聞いてみよう)」

考えてみればこっちに振られるのは当たり前だった。まだ思いついていないと答えるのもシャクなので、慌てて話題を変えることにした。私はiBookの画面をillustratorに切り換える。

【3.完全なシンメトリなんてない】
「ムラカミ、この画を見てどう思う?」
画面にはAdobe Illustratorで描画した人物の画。
「どうしたんですかイキナリ。先生がお描きになったんですよね…特に画風もいつもと変わりないように…」
「ふふふ… 実はコレ反転像なのだよ。マスターは右向きなんだ。気にならなかったか? つまり…」
「左右反転しても大丈夫、ということは… デッサンのくずれを克服してしまったんですね!」
「〈してしまった〉って…ムラカミなぁ。
まあ、手描きのは裏から透かしてみたり、鏡に映したりしてチェックしてたけど、scanして取り込んだのは正確に反転できるからね。
鏡で見て『まあOK』と思って、取り込んで反転したらどっひゃあ~てのもあったな。
それはそうと話したことがあったけ、私が大学を出てまもなく、某美術展覧会の事務局に勤めていた話」
「ああ、あの本朝最古にして最大の展覧会事務局…」
「あまり言うとバレるから止めて。まだ5、6年前の話だし」
「シモタカ先生の年齢設定めちゃくちゃじゃないですか」
「ともかくさ、私はあそこでカタログの編集をしてたわけだ。で、展示作品を撮影したリバーサルフィルムを整理するだろ。怖いのは逆版だ」
「そっか、デッサンがしっかりしている絵や彫像だと、左右反転してても判別できない」
「もっと困難なのは湖水の風景(ただの水平線)とか、抽象画だ。ところが不思議なことに逆版は見つけられるんだ。
 慣れてくると、見た瞬間にどこか違和感を感じる。で私は思ったんだ。作家が左右を認識して描画している以上、どう精密でもデフォルトで左右の設定があるんだと」
「人間の顔はもともとシンメトリではないと言いますしね」
「ところが、その後入社した某社で都合数百点の商品撮影をした。これは衣類やハンカチ、アクセサリとか、どう計測しても厳密に左右対称の物体ですら、逆版は〈わかる〉んだ。
 そう考えると、被写体そのものは寸分の狂いなく左右対称なんだから、〈撮影〉という行為が左右を設定するんじゃないかと」
「ちょうど画家が描画時に左右を決定している、のと同じ意味ですね」
「うん。だけどな、そこから更に導き出した結論としてはだ、
『自然界のものすべてには上下左右が備わっていて、どんなに対称性があっても、置換・反転はできない』んじゃないかと。
 つまりだ! 何が言いたいかわかるだろ、ムラカミ」
「つまり、物理的には同じ系に属している対象を観測する場合…」
「そんなムズカシイ話ぢゃない。もう〈絵を描く時はデッサンなんか狂ってても気にしなくていい〉ってことだ」
「そういう正当化かい!」

【4.ポエツムリ】
「まあ、そう怒るな。じゃあ、たとえば〈とりかへばや〉、男女の置換は可能と思うか?」
「え、男-女というのは、〈対称〉をなしていないでしょう。陰と陽、さきほどの喩えを敷延すればネガ・フィルムの画面のようなものです」
「そうだ、だから難しいんだ。〈見てるもの〉が違うのは構わない、だが〈見えているもの〉が違うのは絶望的だ。
 お互い相反して、そっぽをむいていても、〈違う方向を向いている〉だけで、〈見えているもの〉が違うわけじゃない。この方がまだ救いがある」

ムラカミは冷蔵庫を開けて2本目のコーラをとり出す。そして注いだコップをたんっ!と私の机に置いた。
「はあ、先生、それは〈恋バナ〉ですね?」
「インクルーディング、な。
 異性にでも、異文化にでも、対象と接触・対峙する際にはふたつのアプローチがある。ひとつは共通項を見いだし、それを伝っていく方法。
 もうひとつは逆に、決して重ならない、折り合えない相違点をピックアップする方法。お前ならどっちだ」
「異性に限らずですが、ふつうは共通の話題を見つけるのが仲良くなる方法です」
「ふつうはね。私たちは共通点だらけだ。
 眼球はふたつ、耳も両側にふたつ、顔の中央には鼻があって、ムラカミのようなデッサンの狂った顔の小姐にも鼻の穴はふたつ、内側には鼻毛が生えている。
 あれ、ほとんど一緒じゃないか。われわれは一卵性双生児じゃない?」
「失礼な! 声違う・年違う・夢が違う」
「ア・ア・ア、イミテーション・ゴールド♪ 年齢不相応な歌を知ってるじゃないか。
 そうそう、人間は99までいっしょでも、1の違いで争う生きものなんだ。争ってる両者も傍目からは似た者同士に見える」
「似てるから争うのかもしれません。まったく共通点のない二者ならすれ違うだけで、出会うことすらないのかも」
「そう考えるなら争っているのは〈仲良く〉なるためと言える。折り合いのつかない残りの1を融合させようとしてるんだ。お互い自らの方に融合させようとね」
「でも決して折り合うことのできない」
「だからこそ始めに、両者の異なって、決して統一できない、共有できない点を認識する必要がある。
 共通項を辿っていく道は危険なんだ。重ならないものを重ねようとする愛情が暴力になり、争いになる。
 みんな、ひとつになりたがる。重なって溶け合ってしまえればどんなにいいだろう」
「先生がいうと、とてもいやらしく聞こえます」
「そういう意味で言ってるんだよ。橋本治も言ってるだろ」

男は、へんな夢を見るために、「自分」という孤独を守る。 女は「他人への幻想」の中で、平気で孤独を生きる。 男と女は違って、「違う」からこそ、「つきあう」ということが重要になる。
重要なのは、「つきあい方」という「方法」なのに。 どうしてああも「愛情」という無秩序な一体化ばかりを問題にするんだろうと、 私は公然と不思議がっている。


「どこかのフェミニストみたいに性差がなくなってしまえばいいとは思わない。女らしさ・男らしさと言った不条理なマチズモもあるべきだ。
 それでもカタツムリのことを知って、私はまだ夢を見ていることに気づいた」
「でんでんむしむしカタツムリですか?」
「カタツムリは有性生殖、雌雄がある生物なんだが、本来は性がなく、対象に応じて雌雄が発生するらしい。
 つまり出会った相手が常に〈異性〉なんだ。同性愛でもなく、両刀遣いでも、男役女役でもない。
 恋が互いを異性にするんだ。なんてロマンチックなんだろう!」
「どこがロマンチックなんですかーー!!」
「カタツムリの社会には男女差別も、同性愛の問題も起きえない。かと言って性がないわけじゃない」
「じゃあ恋愛の問題は残ったままじゃないですか」
「そこがいいんじゃないか。ムラカミはル・グィン『闇の左手』を読んだことがないのか」
「ヒューゴー章受章作品、タイトルだけは知ってます」
「じゃあ、読む楽しみを損ねない程度に話してやる」

主人公のゲンリー・アイは地球人の男性だ。
彼はある異星人と外交関係を結ぶという任務を負って、カルハイド王国に降り立つ。この異星人には固定の性別がない。さっきのカタツムリといっしょだ。夫婦制度はあるが、夫婦や恋人は相互に異性になる。ゲンリー・アイとの折衝を請け負った異星人はエストラーベン。ところがふたりは反対勢力の陰謀によって国外追放に処せられてしまう。
ゲンリー・アイとエストラーベンは遥か荒原を踏破し、再び王国へもどる旅を始める。

「異性、もとい異星のふたりが険しい旅路の果てに、訪れる運命の一夜…」
「ふたりは結ばれる…? ちょっと待って、その異星人は固定の性がない。一方の地球人は男性、その場合どうなるんですか」
「ル・グィンが描き出したのは偉大なる魂の姿だよ。あとは自分で読むといい。そこの書棚にあるはずだよ」

ムラカミは聞くや否や、弾むような足取りで書棚へ向かってとんでいった。

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わかる人にはわかるので

本編の登場人物は明石散人シリーズのオマージュ(≒パクリ)です・
実在の団体・人物とは一切関係ありません。

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