ベゼル - ポエツ | poets

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【昼行灯】
感慨で胸がいっぱいになって、どう形容していいかもわからないとき。
甘える意味も含めて、誰かに話したい、もしくは誰かの話を聞きたい。もし、それが誰でも好きな相手を選んでいいとしたら。
いまなら大石内蔵助に会いたい。あなたには聞きたいことがたくさんあります。夢の中でいいから、あなたに会って話がしたい。
『ジョジョ』のキャラクターなら、アバッキオに会いたい。

理由をもっとしゃべり続けて 私が眠れるまで

【プリエンティブ・マルチタスク】
処理しなければいけない作業が目の前に3つ、A・B・Cがあるとする。それで、この3つの作業をどの順でやるか、時間や力の配分はどうするのかを判断する必要があって、この作業が「Z」とすれば、実際には n+1 が作業量になる。進行管理とかスケジューリングとか、独立した項目になる。A・B・Cが簡単な作業だったり、量が少ないうちはいいけど、個々の作業量や難易度が増すほど、管理作業の規模は累乗されていく。

集団の場合なら、管理担当を独立させて人をおくなり、部署を設けるなりするのだけど、個人の場合はどうするもんなんだろう。作業がD・E・F…と増えるに従って、指揮系統である「Z」の負荷はどんどん大きくなって、本来個別処理していけば済むだけのA・B・C…に手が回らなくなる。これでは本末転倒。かといって指揮系統なしに手近なものから、順々に当たっていくのはシンプルな方法だけど、あまり近視眼的になりすぎて、気づいたら袋小路で後戻り、てのも効率は悪い。あんまり俯瞰的に見過ぎて、捌かなきゃいけない作業の多さに気づいてしまう、というのも士気を削ぐ一因。知らなくていいことは知らないのがいい。
この按排は非常にむずかしい。

【乾坤一擲】
水溶性コンドーム#1609

今日 さいを投げた。
後は さじを投げずにやり遂げよう


このサイトにセンス(あらゆる意味での)のよさには、いつも引き付けられるのだけど、『ことばが力を持つ』とはこういうことを言うのだと思う。短い文章だから、全文引用する他ないんだけど、こんな簡単にコピペで移植していいのか、というかコピペするなんて陳腐な行為だろう。筆写したいくらいだ。


【秩序のない現代にドロップキャプス】 05/20
ドロップキャプスは紙媒体でも、私としては非常に興味のある技法(タテヨコ組みに限らず)なんだけど、扱いが難しいかもしれない。

HarukiyaArchives「ドロップキャプス」
(文章まるごと引用なんで画像化。この画像にある段落頭の装飾がドロップキャプス*)

>イニシャルキャプスが「上手くいってるなぁ」というものには出会ったことがない
そもそもの絶対数が少ないことも水準の低さの起因があるんじゃないかしら。つまりドロップキャプスを使った誌面組みを好む人が少ない。だから使われない/だから見慣れない/だから抵抗感がある/だから使われない>で循環してるんだと思う。DTPをやってた身近な経験だけで言うと、ドロップキャプスを使ったレイアウトが採用されたことがない。
1色刷り、限られた誌面、など制約された条件下でレイアウトに強弱をつけるのに、ドロップキャプスがあれば表現の幅はかなり広がる。見出しにアイキャッチのアイコン(画像)を使うよりずっとスマートでスタイリッシュだと思う。
これまで見てきた相手の反応から推測するに、嫌われる具体的な原因は、「段落頭の大きくなった文字に何の意味があるのか」と考える人が多いからだ。ドロップキャプスはその文字を強調したくて大きくなってるんじゃなく、単に機械的に段落頭の文字が強調されているだけなのだ。おそらく、日本人の感覚では文字のひとつずつが(アルファベットに較べ)意味を持ってしまっている。

「というわけで…」が書き出しなら「と」が大きくなる。かな(カナ)は表音字だから意味はないはずだけど、「と」が大きいのは間が抜けているらしい。「カメラは…」だと「・メラは…」となってやはり間の抜けた印象がある。文字レベルでなくワードレベルで、「カメラ・は」と(カメラの3文字をドロップキャプス)すれば不自然な感覚は抑えられるけど、冒頭一字をドロップキャプスしてるのに較べ、また別の意味で間抜けに見える。もちろんドロップキャプスは1文字でなくてもいいのだが、3文字なら3文字として、同記事内を統一すると、別の段落冒頭が「デジタルカメラは…」だと「デジタ・ルカメラは…」となってしまう。
逆に漢字は困ったことに、一文字ごとの意味・印象が確立している。「明日は…」なら「明」が大きくなるが、「明」一文字が強調されると別の意味を見いだしてしまって、「あした」という単語以上の意味になってしまいそうだ。「は言われました」とか、「というものは」、であれば確かに「文頭強調」として捕らえても格好はついているのかもしれないが、段落頭にくる文字は一定じゃない。もといくりかえすと、ドロップキャプスは視覚デザイン上、ある文字が大きくなっているだけで、その文字の意味を強調しているのではない。

欧米の誌面(紙面)レイアウトのドロップキャプスは、2、3行どころじゃなく、6、7行ぶち抜きとかする。ここまで文字サイズに落差があると、本文を読み始めたときに「あれ? 始めの一文字がない。脱字か」と一瞬思ったりする(私だけか…)。本文の文字サイズを読む視界では、ドロップキャプスされた1文字目があまりに大きくて、視野から外れてしまう。

*MacIEでは2バイト文字?に対応してないようだ。
【資料】あの頃のように…「:first-letter と :hover の微妙な関係」

【ベゼル /bezel】 05/20
いつも新製品が出るたびに、思い出せない、あの単語。えーとラッチじゃなくて、ヒンジじゃなくて…
黒「塗装」ではないというこだわりは、さすがにおもしろい。光沢ディスプレイ採用はどうなのだろう。ラッチレスはシェル型iBookみたいで好ましい。いずれ買わないから関係ないけど。

【fuben-navi】 05/20
・パーマリンクで前後記事への移動がない。月別アーカイブで前後月への移動がない。
・そこでインデックスページに戻るなりするほかないのだけど、「トップへ戻る」も見つけづらい。
・どこがパーマリンクの入り口か分からない。仕方ないので「コメント」からパーマリンクへ移行。

【水ください】 05/20
1年ちょっと生活していて、もっともあんまり活動的でないせいもあるんだけど、今さらのように気づかされることがある。
日本だと飲食店に入れば、まず水(おひや)が出されるのが普通だ。老夫婦のやってる大衆食堂でも、富士そばのようにセルフでも。台湾は飲食店に入っても水(おひや)が出て来ない。ある程度の規模だとお茶なら出てくる。比較的新しいカフェなら、ピッチャーに水がある(セルフです。だけどスタバにはない)。
先日、同僚と台北駅近くの百貨店内の飲食店に行ったのだけど、(高級店ではないけど、百貨店内にあるって点では、規模や雰囲気は日本のそれをイメージしていただければ)水が出てこない。
このときは二時間ぐらい前からずっと喉が渇いていたせいもあって、席に着けば水が出てくるという先入観(期待感)が特に強かった。考えれば当たり前なんだけど、こういう百貨店内の新しい店でも水を出すってことがないんだなあ、と文化習慣の違いを実感。

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