大きな背景 小さな構図 - ポエツ | poets

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『始皇帝暗殺』という映画があります(1998年・日中仏合作・主演:鞏俐、張豊毅)。
中国全土を始めて統一する始皇帝の物語ですし、製作も数カ国合作で、屋外に実際の皇宮を作り、鞏俐をはじめとする実力派俳優をそろえた、文字通り「壮大なスケールで」描いた作品です。

物語は秦王・政が始皇帝となる数年前。いくつかの国が互いに争う戦国の時代、趙姫はこの戦乱を平定するには、強国である秦がすべての国を統一することだと考えます。しかし大義名分なくして他国を侵略するわけにはいかず、趙姫はある計略を政に進言します。燕国に、秦王・政を暗殺させるよう仕向け、それを開戦の口実にしようと。

荊軻(けいか)は腕の立つ剣士で、依頼され人を殺す、刺客をなりわいとしています。あるとき鍛冶屋の一族を皆殺しにする仕事を引き受け、その家族を惨殺するのですが、ひとり盲目の娘がまだ残っていました(まだあどけない周迅が演じています。数分しか登場しないのにあの神々しさはあまりにも印象的)。
娘は「家族がみな死んでしまっては、盲目の自分は生きていけない」と自分も殺すよう懇願します。しかし荊軻はその少女の美しさに心奪われ、「盲目であれば顔を見られていないので殺すに及ばない」と答えるのですが、図らずも結局は少女を殺めてしまうことになります。
それを深く悔やんだ荊軻は、もう二度と人を手にかけないと誓い剣を捨てます。

趙姫はその荊軻に目をつけ、暗殺を依頼しますが、荊軻はもう人殺しをさせないでくれ、と拒絶します。接するうちに荊軻のひととなりに次第に惹かれていく趙姫。また荊軻も趙姫のやさしさに心を開いていきます。
当初は秦王・政が平和的に諸国を統一するだろうと信じていた趙姫でしたが、侵略された国の人々は掠奪され、惨殺されていく現実を目にし愕然とします。次第に侵略的になっていく政をなんとか押しとどめようとする趙姫。しかしその願いはかなわず、荊軻は趙姫のために政を斬るべく、一度は捨てた剣をふたたび手にします。

この作品は、大規模なロケ撮影をした合戦の場面など、たしかに「スケール」は大きいのですが、壮大な歴史絵巻や群雄割拠する英雄の物語ではまったくありません。政-趙姫-荊軻、物語はあくまでこの三人の男女を主眼に据え、彼らの心の移ろいを描きます。
兄妹のようにいつもそばにいた趙姫がいなくなって、孤独を募らせる秦王・政。はじめは計略のために接近したはずの荊軻にひかれてゆく趙姫。人を斬ることを生業としてきたのに、少女を手にかけた悔恨から生きる途を見失った刺客・荊軻。
壮大な歴史背景を、三人の男女の情愛というとても小さな関係へ落とし込んでしまったこの物語を、私はとてもおもしろいと感じました。もちろん他にも人物は登場しますが、主線をたった三人にしぼった脚本も巧みだし、予算をかけた戦争の場面も、彼らの感情を描くための下地でしかありません。「何もかもを見せよう」と欲張るのではなく、「どこを見せたい」のかを演出は意図していたのでしょう。
その点では前回紹介した映画『墨攻』にも通じるものがあります。

以前、竹中直人さんが秀吉を演じたNHKの大河ドラマがありました。妻・おねを沢口靖子さんが演じていて、これまでの戦国ものに較べると、夫婦の関係を描く場面がずっと多かったようです。
これを作家の池宮彰一郎氏が「戦国大名の物語なのに、なんで団地妻とサラリーマンみたいなせせこましいお話になっているんだ」と酷評していました。そう言われてみると、「小さな構図」に落とし込むことと、「卑近」なものにしてしまうことは似ているようで違うんですね。

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