清邁の戀人 - ポエツ | poets

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七月の夜の街をてくてく歩いて帰ってきた。お酒を飲んだわけでもないけど、とてもいい心地だった。
部屋の電灯はつけなかった。ここに入居してから1年以上経つけど、人が来たとき以外は電気をつけたことがない。机の上の電気スタンドとブラインド越しに入ってくる街路灯の光だけで、この小さな部屋には十分だった。慣れてしまえば、この溶けるような闇が落ち着く。
部屋に戻っていくばくもしないうちに電話が鳴った。まるで今戻ってきたのを知っていたかのように。

佳韻からの電話だというのはわかった。ここのとこ佳韻は週に一度か二度、電話をして来るようになっていたけど、半月前のメールを受け取ってから今まで、佳韻からと思われた電話には出ないようにしていた。出るのが怖かったから。
でも、この日は観念ができたかのように、彼はすんなりと受話器を上げた。理由はくだらないといえばくだらないが、今夜は兼ねてから食事に誘っていた女の子とパスタを食べてきたから。ただそれだけのことで、べつにその子とどうなったわけでも何でもない。でもそれだけで、半月のあいだ避けてきた佳韻の電話を受ける気になったのだから、あまりに愚かしい。
「もしもし」
鼻にかかった独特の佳韻の声を聞いて、彼はやはり少し動揺し始めた。でも佳韻の様子もおかしいってことは声を聴いてすぐにわかった。
「佳韻、声がいつもと違わない?」
「いっしょだよ」
「いや、へんだよ。飲んでるの?」
「飲んでないよ。いま寝転がりながら電話してるから」
「そうか。今日、仕事がたいへんだったんだ」
「うん、疲れてんの。ねえ、もう寝てもいい」
自分から電話して来て、何を言ってるんだろう。このまま切ってしまえば、今日の話は終わるけど、たぶん話をするなら今がいい。
「わかった、わかった。もう寝ていいよ。でも話があるからちょっと待って」
順を追って、うまく自分の考えを伝えなきゃならない。彼は前々から心の中で用意していたセリフを口にしようとした。
「このあいだ、メールをくれたでしょ」
「ねえ、私たちつきあう、の?」
佳韻の話はあまりにも早かった。彼が念入りに準備した回りくどいセリフはすべて使われることもなく終わるしかなかった。しかしなんだって「つきあう、の?」と変なところに間が空くんだろうか。これじゃもう白旗を上げるしかない。
「つきあうよ、つきあう、つきあうからさ、早くこっちへ戻っておいで」
「うん」
佳韻が寝返りをする音が受話器越しに聴こえる。うん、と返事をしたんじゃなく、寝返りで唸っただけかもしれない。
「早くこっちへ来ないと、いっしょにいられる時間がどれだけあるかわからないよ。佳韻、聴いてる?」
「ねえ…、今日はとっても疲れてんの。もう寝る」
「うん、わかった。早く寝な。おやすみ」
「おやすみ」
何の余韻もなしに電話は切られた。掛かってきてから切れるまで、ぜんぶ佳韻のペースだった。
もう向こう側に佳韻がいなくなってしまった受話器に、彼はしばらく耳を当てたままでいた。部屋に満ちる七月の闇夜がいつにもまして優しく感じられた。

私訳『清邁的情人』

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