大人はわかってくれない 子供はもっとわかってくれないけど - ポエツ | poets

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「来年はどんな年にしようとか、目標とかあるの?」
昨年12月末に、友人とサンマルクカフェで話していた時のことだ。特にこれを目標にしよう、と年ごとに新たな決意をすることなんてしてないので、このときも答えようがなかったけど、少し前から考えていたことが、ふと口をついて出てきた。
「どうって言うのはないけど、もう”戦う”ってのは止めようと思ったんだよね」
いや、もちろんこれから努力したり、挑んだり打開すべきことはたくさんあるけど、そういうのを「戦う」とか「打ち負かす」とか、そういう表現で呼ぶのを止めたいと思うんだ。そういうの好きだし、自分を鼓舞する上で必要だった部分もあるんだけど、「戦う」ってことばを冠しちゃうとそれに酔っちゃう気もするし。
そんな話をしたけど、今でもちょっと順調にいかないことがあると、すぐに悲壮に「戦っている」モードに突入しちゃうのはよくない癖だ。

田口ランディ公式ブログ:書道と子供

家で書道の練習をしていたら、子供がやってきて「私も書いてみたい!」と言う。「いいよ、いっしょに書こう」と、二人でお手本を見ながら練習を始めたのだが……、まだ一文字も書かないうちから、子供がめそめそ泣き出した。「どうしたの?」と聞いたら、「うまく書けない」と言うのだ。びっくりしてしまった。


私はショックを受けた。なぜ、こんなに「うまく書く」ということにこだわるんだろうか。書けないことが泣くほど辛いことなのか。どうして? わからん。


私もうまくできないとすぐ泣くから(今でもだ!)、べつに奇妙とも思わない。むしろ「わからん」と言う人がいることにショックを受けた。「びっくりしてしまった」。
ランディさんは、泣くばかりで努力しないことを怒っているんだってことは分かっている。なぜ泣くかといえば悔しくて、もどかしいからで、自分が理想に描いていた「成功像」とはかけ離れた現実が突きつけられたからだ。

いつまでもぐずぐずぐずぐず、できないだの、書けないだのとごねて、とうとう書かずに終わってしまった。


こういう場合、人前では練習しないだろうと思う。ランディさんが指摘するように「努力しない」のとは少し違う。自分がそういう性格なんだけど、人の見ていないところで練習して、ある程度サマになってからでないと、気後れしてしまう。恥を重ねて、転んで、泥だらけになってこそじゃないか、と言う意見は正しい。そっちのほうが上達は早い。でも正しいとは分かっていても性格的に受け容れられないこともある。

動物実験っていうのは、最近の疑似科学の風潮もあって、にわかに鵜呑みにしがたいが、「チンパンジーとオランウータン」の知能実験の話がある。
透明なプラスチックの容器にバナナが入っていて、見ることはできる。ただ抽き出しにはちょっとした仕掛けがあって、ただ引くだけでは開けられない。チンパンジーは積極的なトライアル&エラー型だと言う。ひたすら抽き出しをいじり続けているうちに、開ける仕掛けを見つけてバナナを手に入れる。ひたすら挑み続けるので1分で開く時もあれば、10分かかるときもある。
一方、オランウータンは、抽き出しに仕掛けがあって開けられないことを知るとその場を離れる。しばらくすると戻ってくるが、今度は違う方法で開けようとする。それがうまくいかないとやはり立ち去るが、また来たときには更に違う方法を試して、やがてバナナを手に入れる。
二者はスタイルが違うだけで、知能というか、到る結果に変わりはない。ただ、すぐあきらめたように見えてしまうオランウータン型は愚鈍な印象を与えるらしい。またチンパンジーのように「とりあえず取りかかる」型は、1分で成功することもあるが、必ず思考時間が挟まるオランウータン型では、一定の時間を費消してしまうことは確かだ。そしてこの社会ではチンパンジー型の方が評価も高く、得るものが多いとは、私も思っている。心情的にはオランウータンだけど、残念なことにチンパンジーを装わないと切り抜けられない局面だって多いのだ。
あの池田屋で真木和泉が、「形が足利尊氏でも、心が楠木正成ならよいではないか」という珍妙な名言を述べているけど、「心はオランウータンのままで、形はチンパンジーを装おう」と思っているこのごろである。

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