タイ料理を二度食べた夜 - ポエツ | poets

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明け方まで寝つけずにいて、ふと目を覚したらもう午後の三時を過ぎていた。
何をしてるんだか。朝昼二食を食べ損ねた。おもむろに支度をして出かける。師大夜市にあるタイ料理屋を覗くと、ちょっと早くてまだ準備中。ここは数日前にふらっと立ちよってみたら、クラスメイトのインドネシア華僑が働いていることを思いがけず知って、また来ると約束していた。実のお目当ては彼がオマケしてくれるココナツアイスだったり。
ちょっと時間を潰して戻ってくると、店内には一組目の客がもう席に着いていた。レッドカレーとグリーンカレーはどう違うんだと聞いたら、レッドの方が辛いと言うのでやっぱりグリーンを注文した。ちょうどそこで電話が入った。バリ島出身の別のクラスメイトからだった。

-今夜うちに来ない?
-いま食事をしてるから、終わったら行くよ。
-何言ってるの、もう予約してあるのに。
-予約って何を?
-タイ料理屋!
-いまちょうどタイ料理を食べてるよ。それなら早く言えばいいのに。

二度も夕飯は食べられないと返事すると、とりあえず来て茶でも飲んでいけと言う。それならば、と食事を終えたあと彼女のうちをたずねる。上がってみると、お婆さまも少し前に帰ってきたところらしい。お婆さまというのは日本統治時代の台湾人で、バリ島出身の彼女は住み込みである。どういう経緯で知りあったのか知らないが、家政婦と言うわけでもなく、料理や掃除をしたり、なんとなくお婆さまの身の回りの世話をしているらしい。
お婆さまは日本時代の教育を受けていて、話す日本語は日本人のそれより、ずっと淀みなく済んで聞こえる。当時の人はきれいな日本語を話す、と聞いたことはあったが、お婆さまに限って言えばそれは本当だ。当時の日本語教育までを受けた世代となると、さすがに80歳近くなっていて、なかなかこうして知りあう機会もないので、他の方の日本語については分からない。それでもお婆さまは、「こどもの頃の学校の先生が関西人だったせいかしら、日本に旅行に行くといつも関西訛りと間違われるのよ」と言う。

「じゃあ行きましょうか。この子が、とてもお腹が空いたと言うので、タイ料理を食べに行くの」
お婆さまがそう言うので、あれ? いま電話をもらった時、ちょうど夕飯を食べていたところだったんですよ、と答えてバリ島小姐を見やる。どうやら、お婆さまには私もいっしょ行くことにしたと嘘を伝えたらしい。
「ああ、そうなの。私もね、いまお客さんと夕食を済ませて帰宅したところなのよ。だけど、この子がどうしてもと言うから」
お婆さまがフォーマルな格好をしていらしたので、そうなのだろうとは思っていた。お婆さまは背が高くスラリとしていて、着こなしも上手だ。事業の現場は、もう若い人に任せていて、今は毎日のように顧客と会うのが主な仕事らしく、いつもきちんとした身なりをしている。
バリ島小姐はむずかり始めたし、お婆さまは困っているようなので、私も観念した。段差の激しい台湾の騎樓を、二人でお婆さまの手を引いて、家のすぐ斜向かいにあるタイ料理屋へ向かった。メニューをみたら、夜市のレストランの3倍の値段。高級店じゃないの。これは二度食いする価値はあるかも! と思いつつも「ベトナムコーヒー」というものを見つけたのでそれだけにした。

バリ島小姐がカレーだのサラダだのセット一式を頼んで、私とお婆さまはそれを分けることにした。でも出てきた料理のボリュームが三人前はあって、分けるにはちょうどよかった。ちょっと高級店だったから、と言うわけじゃないけど、結局私も軽い夕食くらいの分量は食べてしまった。

ベトナム式コーヒーと言うのは、はじめて名前を知ったのだけど、以前TVか雑誌で見た覚えのある、金属のフィルターをカップにのせてじっくり濾過を待つものだった。[参照] 時間がかかるので淹れ終わったときにはすっかり冷めているし、喉が痛くなるほどたっぷり砂糖が入っていて、とても飲めたものではなかった。本当のベトナム式コーヒーなのかどうかはわからない。

料理はなかなか食べきれなくて、残りはもう包んで持ち帰りにしよう、と言ってもバリ島小姐は、もっとゆっくり食べればいい、とムリヤリ胃に詰め込んでいる。聞けば、断食月が近いので、この数日で食い溜めをしておくのだと言う。そういえば彼女は回教徒で、食事の前にはいつも、これは豚肉が入ってないか? と念入りに確認していたか。
ラマダンは昼間は水も飲んではいけない。お婆さまは「水くらい飲まないと、体に悪いと思うんだけどねえ」と暢気なことをいっていた。
彼女の食い溜めが終わって、三人並んでまた同じ道を帰った。別れ際、お婆さまはその淀みのない日本語で言った。
「また台北に来る時には、必ずお婆ちゃんをたずねてらっしゃい。あなたはね、もう私の孫なんだから」

朝も昼も食べ損ねたのに、夕飯を二度も食べた奇妙な夜だった。二度ともタイ料理だった。

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