七光との戦い - ポエツ | poets

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新年快樂!
昨年内にもう1記事投稿するつもりでしたが余裕がありませんでした。
幸い中華圏は旧暦(農暦)ですので、本日は普通の日曜日です。
とは言え、せっかく年も明けましたので、所信などを。

【シビリアンコントロール】
呉智英氏が「断ちもの」について書いていたことを思い出しました。
昨年に習慣化してしまったこのウェブログを「断ちもの」にしたらと考えました。ただそれはごく経済的な思考経路で、「ブログに費やしている相当な時間を別途転用すれば、人生はもっと潤うんではないか」というものです。
この計算には陥穽があります。たとえば、愛煙家が禁煙するとイライラしてしまい、却って精神的な安定を失います。同じく、私もここに駄文をつづることで、気散じにしている側面もあり、逆効果ではないかと。

この理論こそが陥穽でして、そもそも「断ちもの」とは一種の祈願で、数値に帰すものではありません。
つまり、何かを削減したことで発生させた余力を他に転用する、という経済的な理論ではないのです。

ただブログ断ちをする前に、見直さなければならないことがあるだろ、自分。
この夜型を通り越して、早朝型になりつつあるライフスタイルです。
これは中学生の頃から、サラリーマン時代も変わらない(どんどん促進されている)生活習慣。もともと小説を書いたり、読んだりしていると平気で徹夜してしまうところに端を発しています。
これを朝方にすれば、人生観ががらーりと一転するくらいの革命が起きるんでないかと思いますが、そんなうまくいくか?

ちなみに私は確かに睡眠時間は平均より短めですが、均してみればそれほどでもないかもしれません。
私は高校生くらいから「分眠」をしているからです。つまり1日に(1h+2h+4h)とか(3h+4h)とか分けて眠るんです。
一度「分眠のススメ」と言うエントリを書こうと思ったくらいですが、全然オススメできないので止めました。

そういう人間は得てして休日は1日中寝ています。これは「寝貯め」とも考えられますが、少し違います。7、8時間以上眠ってしまうと、その後の1日はカラダが目覚めてくれないのです。私はこれを「寝癖がつく」と呼んでいますが、羽生名人のような髪形のあれではありません。発電所がいったん火を落としてしまうと再稼働するのが大変なのといっしょです。逆に日平均3時間くらいで数ヶ月過ごす時期がありますが、意外に平気です。

例によって理屈っぽくなりました。でも、何らかの生活上の改革は必要かなあ、と言うあたりで新年にのぞむ所信表明とさせていただきます。


【七光との戦い】
もともと今回は予告していた、小説「下高井戸シネマ」をエントリする準備をしていました。そのための「解説文」を書いていたのですが、その文中でル・グィンに触れました。

そこで遅まきながら知ったのですが、『ゲド戦記』がジブリ化(訳註:アニメ化とか映画化を超えている)されることを知りました。
色んな意味で怖くて観れたものではありません(たぶん観ますが)。
なにしろ小学3年生のときこの物語と出会って以来、わが人生の「バイブル」です。これ以降に人生に影響を与えてくれた文学と言ったら、サリンジャーの『笑い男』くらい(おまけで付け足すなら、村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』、司馬遼太郎『項羽と劉邦』、隆慶一郎『死ぬことと見つけたり』)ですが、『影との戦い』に較べればコメツブのごとしです。
高校生になってアルバイトの初月給で買いそろえたのも『ゲド戦記3部作』(当時は3部で完結)でした。岩波版は各1500円からで、とても中学生の小遣いでは買えませんでした。
そんな「バイブル」の映像化なんて恐ろしくて。

それに見落としてはいけないのは、『ゲド戦記』の名作度を助長している要素には清水真砂子氏の名訳があるのです。「アースシー」は直訳してしまえば「地と海」(earthsea)です。一方で人名は「カラスノエンドウ」などと訳が宛てられています。これなど前の記事で書いた「言語センス」が問われるところ。ある意味『指輪物語』+「字幕・戸田奈津子」=珍訳、と対照的でおもしろいです。

で、監督の「宮崎吾朗」氏ですが、宮崎駿の息子さんなんですね。
私は一瞬「親の七光り」なんて言葉浮かんで一瞬引いてしまったんですけど、そういう偏見は良くありません。
以前、女優の松たか子さんの人気が出はじめた頃、「二世」をバッシングする声がやはりあって、そのころあるコラムを読んだことがあります。
誰が書いたものか失念しましたが、おおむねこのような論旨です。
「現代日本において、親が子に残し伝えられるものなどどんどん限られてきている。<親の七光り>はかつてあまり良い意味ではなかったけれど、今やそれぐらいしか、親が子に与えてやれるものなどないじゃないの」

そうなればこそ、むしろ思うのです。「自分と同じ道を歩ませたくない」と言う親心もあるでしょうが、受け継がせるのであれば、それこそ「帝王学」のような徹底した伝授・教育もあってしかるべきかと。
仮に(私は氏の経歴を知らないのであくまで過程ですが)宮崎吾朗が成人したのち、幾多の葛藤を経て「やはり親と同じ道に入ろう」と決意し、それから衣鉢を継ぐのではなく、幼い頃から徹底的に「宮崎流アニメ演出術」をたたき込まれていたら…

さらに生物学的・遺伝子学的に敷延します。人間の体内で細胞は死に、新しい細胞へと代謝しながらもひとつの個体を保ちます。一段俯瞰すれば「親-子」の関係も同様と言えなくもありません。人間ひとり数十年でできることなど限りがあります。親子三代かけて完成させた、サグラダファミリア的大作アニメというのも「是非観てみたくなっちゃいますね」。
その点では呉智英の主張する「封建主義」にも大いにうなずけます。(この「封建主義」というのは「父親がガンコで…」といった類いの誤解されたものではなく、たとえば「世襲制」といった制度の重要性です。)

しかし夏目房之介や手塚眞などの話からうかがうかぎり、当人にしてみれば、親(祖父)の七光りに胡座をかいているどころでないことがよくわかります。あまりにも偉大すぎる先人がいて、ましてそれが父であると言うこと。
宮崎吾朗に待っているのは「影との戦い」ではなく「七光との戦い」かもしれません。

[related]*論評

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「分眠の習慣があると長時間続けて寝ると身体が起きてくれない」

私も細切れに睡眠を取っています。なまじ長時間寝てしまうと、身体がいうことを聞かなくなります。

比較的時間に自由が利くというのは逆に生活習慣上どうかと思うのですが、最近は20時~4時間程度寝て、夜中にごそごそやって、また2時間ほど寝て、朝は6時から活動といった感じです。「平気で徹夜」から少し改善(?)した感じですが、真夜中の時間が好きなので「眠ってしまうのがもったいない」という貧乏性もあるかもしれません。6時から活動を始めるので、朝型と言えなくもないのですが、世間で言う朝型とはやはり違います。

「人間ひとり数十年でできることなど限りがあります。」歌舞伎などの世襲制の世界では、当たり前のことなのでしょうが。そういう世界以外ではつい「七光り」をマイナスに考えてしまいますが、「受け継がれる」ことのたいせつさがあってこそ、「壊すこと」「改めること」が活きてくると最近特に考えてしまいます。壊す(改革する)には、壊されるものが必要なのです。

本棚の『影との戦い』に手招きされました。

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