zakki - ポエツ | poets

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雌雄を決する

「雄が子供を産む動物ってなんだ?」
先日Twitter で書いてた話題ですが、もともとは友人に出題されたクイズでした。友人曰く、小学校で習ったし、アメリカ人に聞いてみてらやっぱり知っていたと。うっひゃあ、グローバルスタンダードですか、常識の範疇ですか?
翌日、答合わせをすると言うことになったので、さっそくグーグル検索! すると出て来るのは「タツノオトシゴ」。執拗に調べましたが、それ以外には出てきません(小学生で知ってるような常識と言うことなので、聞いたこともない生物はさておき)。
しかし、いくつかの説明を読むと、タツノオトシゴは「メスがオスの腹部に卵を産む」とあります。これって卵を、たとえば岩陰かなんかに産みつける代わりに、オスの腹部に産んだほうが外敵から保護できるってことで、「産んでるのはメス」であることに変わりないよねえ? と思っていました。

翌日の答合わせ。
「検索したけど満足な答は見つからなかったよ。でも答は読めたよ ……”熊”でしょ」
「はずれ! でも、なんでクマなの?」
「”雄”は音読で”ユウ”、”熊”も音読すれば”ユウ”。出題は”ユウが子供を産む”となるから、正解は”熊”。でしょ?」
「違う、頓智クイズじゃないから。正解はタツノオトシゴです」

しかし考えてみると「オスが出産する」ってこと自体がおかしんじゃないか? という疑問が湧いてきました。「メス」とは「出産する性である」とするなら、「オスが出産する」ってそもそも定義矛盾でしょう。出産するならその個体こそが「メス」なのでは。つまり、仮にタツノオトシゴはオスが出産するのだとすれば、タツノオトシゴのオスはオスではなくメスなのだよ! とか。
でも「出産する性がメス」って定義は乱暴にすぎますよね。もうちょっとマシな定義をすれば「卵(らん)を持つのが雌」、「精子を持つのが雄」でしょうか。で、一般的な胎生の場合、卵を持つメスの体内で受精されるので、「メスが出産する」ことになるわけです。
それで、もう少し調べてみると、タツノオトシゴはオスの体内で受精されるようです。つまり通常とは逆に、卵をオスの体内に入れるってことです。なので「産卵する」のはメスですが、「出産する」のはオスということになります。
よって「雄が子供を産む動物」は、「タツノオトシゴ」で正解みたいです。

[参照]BlurtIt:タツノオトシゴって雄が子供を産むんですか?

ぶぶ漬けメソッドの合理性

前の記事で、京都の「ぶぶ漬け伝説」をとりあげて、「初心者向けのインターフェイスじゃないかもしれない」と書きました。発信する側のみでなく、受ける側にも察する能力が必要になる。昨今の用語で言えば”リテラシー”でしょうか。この婉曲な手法は、京都人のある種の陰険さの例にされたりしますが、まったく違うような気がしてきました。

よそ宅におじゃまして、つい過ごしてしまった頃、「ご夕飯どうされます?」とたずねられたらどうでしょうか。
おそらく多くの人は「要らない」と答えると思います。遠慮してそう答える人もいるでしょうけど、それよりもよその家庭料理なんて、そう食べたいとは思わないのでは。そこの家がちょっとした料理屋を営んでいるとか、民宿だとかならともかく、ただの他所宅の家庭料理なんて、そこまで進んで食べようとは思いません。あまりくつろいで食事もできないし、口に合わないかもしれません。しかし自分の家、あるいは食堂でなら「不味ければ食べない」でいいですが、他所宅となるとそうもいきません。
そう考えていくと、「ぶぶ漬け召し上がりますか」と聞けば、かなりの高確率で「要らない」という反応が期待できます。これは「お泊まりになれるよう、お布団ご用意しますね」とかでも同様です。
ぶぶ漬けだけ断っておいて、そのまま居座り続けるとか、「どうぞ召し上がってきて下さい。私待ってますから」と答える客もまずいないでしょう。つまり、ぶぶ漬けを断らせることは、そのまま帰らせることと直結しているわけです。

かなり相手のリテラシーに依存した方法ではないかと、はじめは考えていたのですが、まったくそんなものじゃありません。「空気嫁」とかよりもはるかに確実ですし、相手の察しの良し悪しにはそれほど依存していません。こちらの本意を察しなかったとしても、相手を帰らせる方向へ仕向けることはできます。
「そろそろ切り上げますか」と水を向ける頃合い、言い方には気を遣うものです。「もう帰って下さい」と言えば分かりやすいですが、いささか表現が直截的すぎます。その点、「ぶぶ漬けメソッド」は実に合理的で、この上なくエレガントな方法ではないでしょうか。

「ぶぶ漬け伝説」と「デザイン」

京都にまつわる逸話で「ぶぶ漬け」の話があります。よそ宅におじゃました時に、「ぶぶ漬けでも召し上がりますか」と聞かれたら、それは「そろそろ帰ってくれ」という合図で、間違っても喜んで「いただきます」と返事してはいけないとか。
以前、京都出身の先輩にそれを聞いたら一笑に付されましたが。その人のところでは「ぶぶ漬け」ともあまり言わないそうです。

それはともかく。帰って欲しいのに、「帰れ」と明示しないのはずいぶんと分かりにくいでしょう。でも、ある部分ではデザインと通じる気がします。「そうしろ」と言うのではなく、そうさせるように仕向ける、と言う点です。

《★このボタンを押す★》と強調大書して目立たせる。でもそれはデザインじゃない。適切な時に、自然とそのボタンを押させるような位置にボタンを配置すること。あるいはその逆に、望ましくない動作は自然と抑制させるようにする。
「こうしなさい」、「しないで下さい」、いずれにしろ強く指図される/するのは、あまり気分がよくない場合が多いわけです。

「ぶぶ漬け」の話は、されたくないことをされないように仕向ける、と言う意味で、QWERTY配列と少し似ているかも知れません。もっともこっちも伝説と言われているみたいで、タイプしにくいようにキー配列した、と言うのは正確ではないとかなんとか。
「ぶぶ漬け召し上がりますか」は、「はい是非!」と答えてしまう人が出てきてしまうことを考慮すると、初心者向けのインターフェイスじゃないかもしれないけど。
「ユーザーエクスペリエンス」は「おもてなし」だ、という記事(参照)が好きで、何度か取りあげましたが、同じように「デザイン」とは「心配り(こころくばり)」なんじゃないかなあと思います。

[参照]e京都ねっと 【どうぞぶぶ漬けでも・・・】

newsing のデザイン

また newsing の話です。というか、前回(参照)保留した、newsing の印象について続きを書こうと思います。
飽くまでこれは好き嫌いなんで、もう個人的な感覚でしかありませんが、私が好きじゃないのは newsing の視覚デザインです。ただそれだけだったりします。

「デザインされているか」という点で言えば、 むしろ newsing は相当にデザインされています。そもそも「デザイン」されてないポータルサイトすら多い中で、newsing はしっかりしたデザイナーの仕事によるものだと思います。この「デザイン」とは装飾だけをさすものではありません。その設計に介在する意図・意志のようなものを含めてです。
なので私は newsing を閲覧していて、進路や動作(読み込みの軽重という意味ではなく)に戸惑いやストレスを感じたことが少ないです。

それなら何が気に入らないかって言えば、もう好みの問題ですね。こってり・がっちり作られすぎている印象があります。レイアウトもそうですが、特にカラーリング。赤をキーカラーにしてるのはいいにしろ、やたらと濃い。ブログパーツもここまでダークだと、サイトのデザインによってはなじまない。

ヘッダの部分を見ても、メニュータブは真っ黒だし、タイトルロゴのアイコン(地球の周りを3人が取り囲んでいる)の陰影も妙にハードな感じです。
結局、全体を通した印象としては、わっと人が集うような楽しそうなサービスに見えないんですよね。
でも、そのタイトルロゴを見ると「social news for biz」とあって、なるほど、ポップなデザインをしないことで、対象ユーザの層を絞ってるんだろうな、と。デザインによってそういったことをコントロールしてるあたりにも、きちんと「デザインされている」感じがあります。でもこのカラーリングは好きになれませんけど。


もうひとつ気に入らなかったのは「○×投票」です。(前に較べて用途説明が少し増えてる気がするけど)

newsingではあえて○×のつけ方にルールを決めていません。
あなたの直感で○×ボタンをクリックしてください。


公式の解説にはこう書かれていて、各ユーザが自由に使ってみて下さい、みたいな振り方ですが、○×にそれ以上はないんじゃないかと。完全に日本国内向けのサービスなので、○×の意味はある程度、共通認識があるでしょう(諸外国では○=正・好、×=誤・悪 という使い方はないと聞きますし)。
ルールは決めてないので自由に使って下さい、と言うのなら「”赤・青・黄・緑”4色で自由に塗り分けて下さい」とかのほうがおもしろそうです。「このニュース、赤く塗ってるユーザが多いな」とか(笑)
色分けじゃ意味不明と言うなら、以前やってた「ボキャ天」みたいに「バカパク」とか「インパク知」みたいにチャート化するとか。

いずれにしろ、この○×は何をさせたいのか意図不明です。と言うのも○×評価するにしても、「ピックアップされたニュース内容」に対してなのか、「そのニュースをピックアップしたユーザ」に対してか、「付いているコメント」に対してなのか、実際の使われ方を見てても混乱してる気がします。それが「ルールを決めない使われ方」として意図したことかも知れませんが。
たとえば同じ○×投票でも「コトノハ」とはまた違っています。
(たしか現在そういう機能はなかったと思いますが)○・×の多い順にソートするとか、○・×が最も割れた(つまり賛否両論あった)話題はどれか? みたいな統計結果が出せれば、衆合智サービスとしての意義が発揮できるんじゃないでしょうか。

何でもできるけど、何もしなくていい

ここ何年か断続的にお好み焼きのことを考えていました。学生のころから行くといったらせいぜい「ぱすたかん」ですが。「ぱすたかん」て言うのは、お好み焼きのチェーン店で、ちなみにパスタは扱っていません。お好み焼きといえば、あとはたまに下北沢に行くくらいでしょうか。
お好み焼き店には2種類あります。テーブルの上の鉄板で客が自分で焼くのと、焼き上がったのを店員が運んでくれるスタイルです。私はずっと自分で焼く方式のほうが好きだったんですね。まず楽しいし、席に通されたら、未調理の具材がすぐ出て来るので待ち時間が少ない。味付けや焼き加減もすべて自分で調整できます。だけど3、4年前、商品撮影の仕事でスタジオにこもっている合間に、カメラマンさんがこんなことを言いました。
「この前、家で料理するのも面倒だし、外食にしようかって子供連れて出かけたんですよ。
お好み焼き屋に入ったら客が自分で焼く方式の店だったんです。それでも普通は混ぜた具が出て来るでしょ? 混ぜてすらいないの。
もっとひどいのはナイフが付いてきてて、野菜とか大きすぎると思ったら自分で適当に切ってくれって。
家で作るのが嫌だから外食にしたのに、ひどい目に遭いました」

たしかに私も具の大きさにはこだわるから、(たとえば御稲荷さんの具材とか)できれば大きめにざっくり切っておいて、がりっと噛る食感を残して欲しい時もあるし、逆にみじん切りにして歯ごたえはいっさい残さないで欲しい場合もある。そう考えると、具の大きさまで自分で切って調整できるなんて最強じゃね? いや、違う違う。それなら自宅のキッチンで料理すればいいんですよね。
そうか、店っていうのは曲がりなりにもプロの料理人なんだから、客任せってのはまずいんじゃないか。「ウチの店の焼き加減はこのくらい。ソースの量はこれくらい、固さはこれくらい、具の大きさはこれくらい」って、その店が責任を持って、「そこの味」を決めてくれないと。
料理人が無限の組み合せの中から「この味がベスト!」と決定したものを出すべきとすれば、そば屋のように客が自分で七味やわさびで味の調整をできるのはどうなんだろう。料理人が”何も足さない・何も引かない”って状態に調味したものに、客が勝手に足しちゃうんですよ。ハンバーガーやホットドッグのケチャップ、マスタードも同じか。そういえば私は吉野家に行くと、牛丼が紅生姜丼と化すくらい紅生姜をてんこ盛りにします。

要するに、サービスってのはどこまでをお仕着せにするか、どこまで自由度を残すかのさじ加減になるということです。それは飲食店でも、観光旅行でも、テレビゲームでも同じです。で、結論を言うと「何でもできるけど、何もしなくていい」ってのが最強かもしれません。デフォルトは、全部お任せでいいってお客さんのために、乗っかるだけでいいコースを設定する。なんでもかんでも手ずからいじらなきゃ気が済まない方のために、カスタマイズできる範囲を多めに取っておく。
と言うのは簡単ですけど、サービスって言うのは「選ばせちゃダメ」って部分もありますよね。そこに考えさせたり、迷わせる要素を置いたらよくない場合がある。かと言って、強制されている、やらされている、と感じさせてもダメ。

qzmp blogの記事を見ながら、「どこまでがサービスか」という論題を、だらだらと考え続けてます。

[参照]qzmp blog:ここまでタガがはずれていると、そう簡単に自分の中で処理できない

ステーキを鉄皿に乗せて出す店が珍しくないが、あれも嫌いだ。経営者はいろんな理屈を言う。曰く肉が冷めないように。曰くワイルドさの演出。曰くソースが熱せられてジュージューと音を立てシズル感を強調できるなどと。(中略)
では保温と称してあんなに高温に熱した鉄皿に乗せるのはなぜか。調理時間を短くして早く出せば、多少客の滞店時間が短くなるからだ。上記の引用部分にも明記されている。一石二鳥なのだ。第一お客が食べている最中にどんどん焼けすぎる皿など、まともな食べ物を出す気がある店なら使わない。

源氏と平家

Letter from Yochomachi:7/12 Today 源頼朝、鎌倉幕府を創設 (1192)

日本史に於いて国の在り方を根本的に変革させた人物は、源頼朝と大久保利通の二人しかいないというのは、たしか司馬遼太郎が言っていた言葉。(中略)豊臣秀吉は日本というものを何も変化させなかった。だから頼朝の方がエライのである。


源頼朝と大久保利通は、私も日本史上で好きな人物でした。
 頼朝<義経
 大久保<西郷さん、坂本龍馬
この二人、華やかなところや、大衆の人気を持って行かれてしまっているところに惚れてたんだ。「王、長島がひまわりならば、俺は野に咲く月見草」の野村語録みたいなものかしらん。
でも最近は、平将門や平清盛のほうがいい。頼朝は神輿とは言っても勝利者ですからね。って別に不遇な人物ほど好きって分けもないですが。先見性があると時代に乗れないってこともあるのです。
平将門は、後の頼朝幕府の祖型とも言える武士政権を作ろうとしました。海音寺潮五郎が喝采したように、旧体制への叛乱という旗幟鮮明さがありました。まあ、実際には鎌倉幕府がやったみたいに、じわじわと朝廷の権力を有名無実化して骨抜きにしていくほうが忍耐がいるんでしょうけどね。
清盛さんは完全に悪役にされてしまってますが、幼い頼朝や義経を助命したのはそもそもこの人。もっともこの時に殺していたとしても、別の人物が頼朝の歴史上の役割を担ったでしょうから、結果は変らなかったかも。でも清盛さんは福原に貿易港を作っていたくらいなので、重農政策をとった鎌倉幕府とはだいぶ違ったはず。
Letter from Yochomachi:2/4 Today 平清盛が死ぬ (1181)……国際派は常に国内派に敗れる(?)

ところで「源氏」と対になるのは「平氏」。「平家」と呼ぶなら、「源家」が対になる呼び方のはずなのに、「源氏と平家」になってしまうのは、「~物語」という文学のタイトルの影響でしょうか。

ユカリはエニシに恋をした

私といえば、そんなにモテるわけでもないので、こっちを好いてくれる方が現れたりしたなら、それは嬉しいやら、ありがたいやら思うのです。自分を受け容れてくれる、支持してくれる人がいるというのは、何にも代えがたいものです。
いつだったか「私もあなたが好きです。そんなふうに私を好いてくれるなんて、とても嬉しいです」なんて言ってしまったら、相手は不貞腐れてしまいました。
「それってこっちが好きじゃなければ好きじゃないってことだよね?」
いや、まあそんなことはないと言いますか。揚げ足とらないでよ。
「でも、こっちが好きになったから、好きになったってことでしょ」
どっちが先に好きになったかなんて今となっては関係ないよ。
「好きでいてくれるから好き、って言うのは何か失礼だよね」
そうね、そうかも知れない。でも、その人がいてくれるから、自分の所在も何とかなっていると思うのもまた事実で。本当に心からありがたいと思います。

ひとから好かれるって誰にとっても嬉しいことじゃないのかな。
たとえば逆の立場だったらどうでしょう。こっちが好きになったら、相手も私を好きになってくれるか。しまった、そう考えてみたらかなり危ういなあ。やれやれ。

用FC2,寫部落格日誌也都簡單阿!

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